●諸子百家(→p.70) 春秋戦国時代に現れた思想家や学派の総称。現実の政治のあり方や、乱世に対処する方法を中心に思想を展開した。後漢の学者の班固は『漢書』で、儒家・墨家・法家・道家・陰陽家・名家・縦横家・農家・雑家(道家思想を基本として諸家の説を様々に取り入れたもの)の9つに分類している。これに兵家を加えたものが一般的である。
●道教(→p.69、81) 道(タオ)と一体となることを目的とし、不老不死の霊薬である丹を練り、不老不死を得た人である仙人となることを理想とする。漢民族の民間の宗教がルーツであり、神仙思想や仏教に対抗するために、老子を教祖とし、道家の思想や書物を取り入れつつ経典整理が行われた。
●法治主義(→p.70) 法家の韓非子によって提唱された。人は利己的で常に打算的なので、法や刑罰など外面的な矯正によって社会秩序を維持しなければならないという思想で、信賞必罰を特徴とする。戦国時代において、人間を冷徹にとらえた考え方である。
●儒家(→p.70) 古の聖人君子を理想とし、仁・義・礼の道を実践し、地縁・血縁に基づく秩序をめざした思想家の集団で、徳によって秩序を維持すべきであるとした。孔子の死後、8つの派に分かれ、特に孟子と荀子につながる流れが知られている。
●『論語』(→p.71、227) 孔子とその弟子の言行を、孔子の死後、弟子たちがまとめた書物。儒教において四書の一つ(他は『孟子』『大学』『中庸』)として尊ばれる。のちに様々な注釈が作られ、東アジア思想に大きな影響を及ぼし続けている。キリスト教宣教師によってフランスに伝わり、ヴォルテールやモンテスキューにも影響を与えた。
●道(→p.71) もとは、人や物が行き通うべき所、始まりでもあり終わりでもあるもの、という意味である。ここから様々な意味が派生した。儒教における道は、人の道・道徳という場合の道で、人間関係や社会に関する道理という意味。この意味で道という言葉を初めて用いたのは孔子だといわれている。
●仁(→p.71) 人に対して自然に発生する親愛の情。孔子が最も重視した徳目。仁は家族的な親愛の情を基本とする愛で、人間関係のあるべき姿を考えるにあたって欠かせない徳目だとされた。具体的に孝悌などがある。
●孝(→p.71) 親によく従うことをさす。生命の連続に対する畏敬の念で、仁の基礎となるもの。血縁を基礎とした社会秩序を重んじた孔子は、孝を守る振る舞いを高く評価した。のちに道徳の根源、宇宙の原理として論じられるようになった。
●悌(→p.71) 兄によく従うこと。血族の年長者に対する敬愛の情。孝とともに語られ、仁の根本とされた。孟子は、親や年長者を敬う孔子の考え方を継承し、孝悌を基礎として親・義・別・序・信という五倫を実践することを重視した。
●忠(→p.72) 偽りのない誠実なまごころのこと。特に君臣間において重視された徳目。孔子は仁の内容として忠を説いた。忠と孝は時に対立するものとされ、中国や朝鮮半島では忠よりも孝が大事だとされたが、日本では朱子学の伝来以来、忠がより大切なものとされ、武士道に影響を与えた。
●恕(→p.72) 他人を心から思いやること、他人の立場になって赦すこと。よく忠とともに説かれる。恕だけでは、相手の誤りをただ甘受するだけになり、甘えを誘うことにもなりかねないので、偽りのない誠実さである忠によって過ちを正すことを加える必要があると考えられた。
●礼(→p.72) 社会規範に従うことをさす。仁という内面が具体的行動・実践となって表れたもの。儒教では、これが他人を愛するに等しいこととされた。伝統的な法制度や共同体のしきたりなどを、孔子は秩序の基本だとしており、礼はもともと祖先や自然の神を祀る共同体に欠かせない祭式儀礼であったため、血縁・地縁を重視する儒教では重要な徳目とされた。
●克己復礼(→p.72) 感情や欲望を抑えて他人を尊重する態度をとり社会規範に従うことは、他人を愛するに等しいということ。孔子は政治や社会の混乱は礼を欠くことから発生すると考えた。礼が廃れるのは仁の裏づけがなくなっているからであって、他人への敬意と思いやりの心があれば自然と礼を尽くすことになり、秩序は回復されるという。
●聖人(儒教)(→p.72) 過去の偉大な統治者、徳をそなえた理想的な人物。聖人君子ともいわれる。最も理想とされる聖人が中国の伝説上の君主である堯・舜で、夏王朝の祖である禹 、殷の祖である湯王、周の祖である武王と周公旦、孔子が聖人として位置づけられ、人々がめざすべき姿とされた。
●小人(→p.72) 教養や道徳心に欠ける人。『大学』には「小人閑居して不善を為す」という有名な言葉があり、小人は他人の目がないと悪事をしでかすとされ、一人でいる時にも必ず慎み深くある君子と対比され、小人からいかに脱却するかが追求された。
●徳治主義(→p.72) 為政者が学問修養によって徳を積み、人々の模範となる態度を示して徳を周囲に及ぼすことにより、人々に道徳を身につけさせ、統治を行うことをめざす政治思想。秩序は、徳によって維持できるとされる。修己治人という形で強調された。
●墨家(→p.70、75) 墨子を中心とする思想家集団。兼愛・非攻を説き、防衛戦のプロ集団として各地で活躍した。戦国時代には儒家をしのぐ最大勢力を築いたとされるが、秦の始皇帝による中国統一とともに防衛戦の必要がなくなり、勢力が衰えて消滅したという。
●兼愛(→p.75) 兼く愛せよ、という意味で、自分と同様に他者を愛すべきであるという考え方。儒家の仁と対比され、儒家の愛は血縁や地縁を重視して家族や年長者を優先する、限定的な愛(偏愛)であり差別的な愛(別愛)であるとして非難した。
●交利(→p.75) 墨家が重視した徳目で、互いに利益が出るよう調整すること。人々が対立し紛争が発生する原因は、自分の利益を優先することにあるとされ、心情的なものを超えて相手を尊重し、互いの利害調整を行う交利が説かれた。
●節用(→p.75) 質素倹約を重んじ、利害対立を発生させないようにすること。儒家は音楽や儀礼を重視するが、そうしたことにお金や時間をかけることは、無駄を助長し、結果として身分の高い一部の人間たちが世の中の資源を思うままに利用することになり、一般庶民との格差を生んで紛争の火種となると墨家は主張した。
●非攻(→p.75) 墨子による、他国への侵略戦争を否定する考え方。ただし、防衛戦争は否定しなかった。戦争は生活基盤を破壊し、無益な殺戮をもたらすものであり、殺人が罪ならば戦争はなぜ肯定されるのかと問い、侵略戦争の不義を説いた。
●性善説(孟子)(→p.76) 人には生まれながらにして善の素質がそなわっているという考え方で、孟子の思想の核をなしている。人間の本性が善であるのは水が低い所に向かって流れるのと同じで、自然と善へと向かうような性質がそなわっているからであるとする。
●仁義(→p.76) 孟子が道徳の中心とした徳目。仁は他人を思いやる親愛の情、義は正しい行いを守り、悪事を働かないことで、世の中の道理や正義のようなものである。義は、人を愛する仁の心が人間関係に応じて具体化したもので、孟子にとって仁と義は切り離せないものであった。この仁義に基づく統治が王道政治である。
●四端(→p.76) 四端とは4つの端緒という意味で、①惻隠(自然に生まれる同情)、②羞悪(悪を憎み我が身を恥じる)、③辞譲(遠慮・謙遜)、④是非(正否の判断)からなり、徳を身につける際の兆しとなる道徳感情のこと。人間は生まれながらに完璧な存在なのではなく、学問や道徳修養によって四端を育てなければならないとされた。四端を育てると、それぞれ仁、義、礼、智の四徳となる。
●浩然の気(→p.76) 四端を育てて四徳を身につける中で生まれる、徳の実践へ向かう強い意志・精神力。浩然の気に満ちれば、人生のどのような局面においても動じない偉大な人物になれると孟子は説いた。
●大丈夫(→p.76) 浩然の気に満ち、徳の実践に向かう強い意志を持つ理想的な人物のこと。「立派な人物」という意味から、「しっかりしている」、「健康である」、「間違いない」という意味が派生し、現代ではこちらの意味で用いられる言葉となっている。
●王道政治(→p.77) 仁義に基づき、人々の意志や福利を最優先に考えれば、人心をつかんで安定した統治ができるという考え方。民も性は善であるから道理に感じ入る心を持っているので、王が仁政を行えば、民は自分の父母のように王を仰ぎ、従うようになるとし、「仁者敵無し」と説いた。
●易姓革命(→p.77) 中国には、神としての天が、徳のある人物を選んで命を与え(天命)、地上の統治者(天子)とするという考え方がある。それに基づき、孟子は天子(統治者)が人々の生活を苦しめて支持を失った場合、天命は改まり(革命)、新たな天子が誕生し、王朝の姓が替わる(易姓)という易姓革命の思想を唱えた。王朝交代は王道政治と関連づけて論じられ、易姓は天子にふさわしい有徳者へ平和裏に位が譲られる禅譲によって行われるべきだとしたが、場合によっては武力によって暴君を打倒する放伐も認めた。
●覇道政治(→p.77) 武力によって天下を治めようとすることをいう。孟子は覇道政治を否定しなかったが、武力による抑圧は軋轢を生み、他者に対する思いやりを欠く場合があるなど道理に合わない部分があり、結果として破綻すると考えた。
●五倫(→p.77) 基本的な人間関係を規定する5つの徳目。①父子の親(親愛の情)、②君臣の義(相互の慈しみ)、③夫婦の別(役割分担)、④長幼の序(上下の序列)、⑤朋友の信(信頼関係)からなる。孟子はこれらを道徳的法則として実践すべきだと主張した。
●五常(→p.77) 四徳である仁・義・礼・智に信を加えたもの。前漢武帝の時代、儒学を国家教学とするよう献策した董仲舒は、四徳に「信」(誠実であること)を加えて五常とし、人が常に実践すべきものとした。
●性悪説(→p.78) 人間の本性は悪で、利己的で、嫉妬心を持ち、勝手気ままな傾向があるという荀子の主張で、孟子の性善説とよく対比される。人間の本能や欲望を無視せず、そこに人間の本性をみた荀子は、この悪を礼や教育によって矯正する必要性を説いた。
●朱子学(→p.79、220) 朱子によって体系化された、儒教の新しい学派。普遍的な原理・法則である理を追究することを特徴とし、自分と社会、そして宇宙は理によってつながっていると説く。この理は自己修養によって獲得することができ(修己)、それにより秩序をもたらすことができる(治人)とされた。日本には鎌倉時代にもたらされ、江戸時代には幕藩体制の秩序を裏づけるものとして重視された。
●理気二元論(→p.79) 万物は理と気の二つの原理により構成されるとする理論。常に生成変化する気に対して秩序を与えるのが理である。両者はまったく異なる原理だが、互いに独立して存在することができないとされた。
●理(→p.79) 法則、物事の道理、秩序の源。自分も社会も宇宙も、この理によって秩序づけられている。己の心を正せば(修身)、家が整い(斉家)、国を治めることができ(治国)、平和な世が実現する(平天下)と説かれ、人としての理を追究することは、社会や宇宙の理を追究することと等しいと考えられた。
●気(→p.79) 世界を構成する要素。生命活動の象徴である息が起源だとされており、ここから、流動的に変化し万物を構成する要素という意味になった。
●性即理(→p.79) 人間の心の本性は天が授けた理そのものであるという考え方。心には理が生まれながらにそなわっており(本然の性)、それが仁や義などの五常となって具体化する。しかし、ひとたび気(物質的要素)にふれると情や欲が発生し、心は霧に覆われてしまう(気質の性)ので、常に心を本来の性に戻す努力が必要だと説かれた。
●格物致知(→p.79) 朱子はこれを「知を致すは物に格(いた)るに在り」と読み、学問によって気を秩序づけている物事の理を窮め、天の理を体得するべきであると説いた。心の乱れ、社会の乱れを正すための方法が格物致知であるとされる。
●居敬窮理(→p.79、221) 情や欲を抑え慎み(居敬)、万物を貫く客観的な理を追究すること。学問による理の追究だけではなく、心の乱れは理に反するので、静坐といわれる瞑想などを通じて日常でも心が乱れないようにすることが必要だとされた。
●四書(→p.79、228) 朱子が儒教における基本的な経典とした、『論語』・『大学』・『中庸』・『孟子』を四書という。そのうち『大学』と『中庸』は、朱子が『礼記 』にある一つの章を独立させて注釈をつけたもの。『大学』は儒学への入門書という位置づけである。漢代から儒教では五経が重視されていたが、朱子が四書を基本的な経典として以降、四書が儒教の中心となっていった。
●五経(→p.79、228) 『易経』・『書経』・『詩経』・『春秋』・『礼記』の総称。朱子によって四書が基本的な経典とされるまで、五経は古くから儒教の根本経典として扱われてきた。四書と五経を合わせて四書五経と呼ぶ。
●陽明学(→p.80、224) 王陽明を創始者とする、明の時代に生まれた儒教の新しい学派。朱子学は情や欲を否定的に考え、人間の心の本性が理であるとしたが、王陽明は情や欲を含む心そのものが理であると主張した。また、人間は生まれながらに道徳に向かう知を持つとし、「満街の人皆是れ聖人」と説いて、万人が等しく聖人であるとした。日本では中江藤樹によって広められた。
●心即理(→p.80、224) 心即理とは、心にこそ理があり、外にある事物に理があるのではないという考え方。心にたちあらわれたものを実践に移すと、その実践の場に応じて理が生まれるとする、唯心論的な考え方である。朱子学における性即理に対して説かれた。
●良知(→p.80、224) 正しさを判断する能力。王陽明は、人間には良知が生まれながらにそなわっていると考えた。良知は万人が等しく持つ判断能力であるから、普遍的であり、そのために他者に対する共感が生じるという。
●致良知(→p.80、224) 良知を致すと読み、良知を完全に発揮することを意味する。王陽明は良知にこそ理が存在すると説き、致良知によって理すなわち善を実現できるとした。
●知行合一(王陽明)(→p.80、224) 知識・認識といった心の作用は、それが表面に表れた行為・実践と切り離すことができず、知と行とは表裏一体であるということ。陽明学では、学問に終始するのではなく、実践・行動を重んじる。
●道家(→p.70、82) 老子、荘子が代表的な思想家。万物の根源であり、無限の可能性を持っている道(タオ)を至上のものと考える。また、善悪の基準など人為的なものは虚構であるとし、形式的な儀礼や制度を否定した。
●道(タオ)(→p.82) 万物がそこから生まれそこへと帰っていく根源。人間は道自体を確認できないから、道は無であるといわれる。この無は、何も「無い」空っぽの器に様々なものを入れることができるように、無限の可能性を持っているものである。このような無という性質を持った万物の根源、すべての可能性の源が道であるという。
●黄老思想(→p.82) 戦国時代に成立した道家の一学派で、特に政治思想の意味合いが強い。伝説上の君主である黄帝と、老子の教えを経典とする。無為を最もよいものとし、前漢初期に広く受容された。
●無為自然(→p.82) 何事にも人間が何かを加えることなく、自然の道に素直に従うという、老子が理想とした生き方。道は天地に先立って存在するため、人工的・作為的な性質を持つものではないという。そこから、無為自然という生き方が正しいとされた。
●柔弱謙下(→p.83) 我を張ったりせず、謙虚でしなやかに生きること。風にも雨にも逆らわず、ただなされるがままにある柳のようにしなやかに柔らかい様子。このように自然に任せ、なすに任せて作為しないことが道と合一する条件となり、人々が互いを育むことにもつながると説かれた。
●小国寡民(→p.83) 牧歌的で平和な、小さな共同体を理想とする老子の政治思想。小さな共同体は何者かが規則などを定めなくても「おのずから」秩序が形成される。この「おのずから」がまさに無為自然であり、道にかなうあり方であると考えられた。
●万物斉同(→p.84) 森羅万象は、是非や善悪といった対立や差別を超えた本来一つで斉しいものであるという考え方。荘子は、あらゆる事象の変化のうちに道があるとした。あらゆる事象に道が遍在しているという汎神論的な見方は、万物の価値は等しいという考え方につながり、万物斉同という世界観に至った。これは、道の神格化をも意味した。
●心斎坐忘(→p.84) 荘子が説いた、道との一体化を体得するための方法。
心斎:心の斎戒で、心の動きを統一して雑念を去ること。五感や思考によって対象を判断するのではなく、直観的に物事を把握することで道すなわち実在の真相に至ること。
坐忘:一切を忘れ去り、身心にまつわるすべての束縛を脱却し、道と一体になること。
●真人(→p.84) 心を清くし身心ともに自然=道と一体化して自由を得た人間を、究極的な人間という意味で真人あるいは至人という。心斎・坐忘を通じて得られる境地。
●逍遙遊(→p.85) 何者にも束縛されることのない自由な状態のこと。逍遙とは心任せという意味である。人為を越えた自然の働きに身を任せ、自由の境地に遊べば、しがらみや限定から解放され、心を清く保ち、自然と一体化できるという。