用語解説 p59-68_仏教

バラモン教(ヴェーダの宗教)(→p.60、68) 聖典『ヴェーダ』を中心とする宗教。近年ではヴェーダの宗教ともいう。司祭階級であるバラモン(ブラーフマナ)を頂点とする身分秩序を説き、バラモンがヴェーダに基づく祭祀を行い、様々な利益をもたらそうとすることを特徴とする。

ヒンドゥー教(→p.60、68) バラモン教に民間信仰などを取り込んで形成された宗教。シヴァ神やヴィシュヌ神などの神がおり、インドを中心に多くの信者を持つ。東南アジアにも広まっている。

ヴァルナ(→p.60) バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの4つのヴァルナで形成。この中に、職業や地縁による世襲の社会集団であるジャーティを位置づけることで、10世紀前後にヴァルナ・ジャーティ制が成立した。

『ヴェーダ』(→p.60) バラモン教の中心となる聖典。祭祀に関する文章などを集めたもので、神々への賛歌や、呪詞などがある。広義のヴェーダはインド哲学における文献の大半をさすが、通常はサンヒター(本衆)と呼ばれる4つのヴェーダをいう。

『ウパニシャッド』(→p.60、61) ヴェーダの真意や呪術の秘法などがまとめられたもの。「ウパニシャッド」とは、もともと「近くに坐る」という意味で、子弟の間に口伝された秘密の教えを意味するようになった。言葉と事物の関係や世界の原理など、扱う内容は多岐にわたり、のちにウパニシャッド哲学が構築され、インド哲学の基盤を形成した。

輪廻(輪廻転生)(→p.60、61) 限りない生と死の連続のこと。前世が原因となり、結果として現世のあり方が決まり、現世が原因となって来世のあり方が決定するという、因果関係の連鎖でもある。『ウパニシャッド』では、人が死んで天に昇り、雲となり雨となって地上に降り、樹木がそれを吸い上げて果実を生み、それを人間が食べて子ができるという輪廻(生まれ変わり)の理論が構築された。

業(カルマ)(→p.60) 人々の行為という意味。現世の中で、過去の業が現在の状況を決定し、現在の業が未来の状況を決定する。同様に、前世の業が現世のあり方を決定し、現世の業が来世のあり方を決定するとされ、自業自得、因果応報ということである。このように、現世の中でも輪廻の中でも因果関係を考えるのがインド思想の特徴である。

解脱(→p.60) 輪廻の世界から離れ解放されること。インド哲学や仏教の最終目的。迷いや苦しみ、束縛といったものから解放されることが宗教の目的とされる場合が多いが、インド哲学や仏教においては、その究極が解脱であるといえる。

ブラフマン(梵)(→p.61) 宇宙の根本原理にして世界の創造原理。「力」を意味する語の派生語で、世界を変化させる力、ひいては根本原理という意味になった。『ヴェーダ』において、神々はブラフマンから派生したと述べられている。

アートマン(我)(→p.61) 生命・自己の本質で、魂のようなもの。もともとは呼吸という意味だったが、それが生命の意味になり、他と自分を区別する本質という意味になった。

梵我一如(→p.61) 梵(ブラフマン)と我(アートマン)が同一・一体であるという思想。ブラフマンは宇宙の原理であり現世を超越しているため、輪廻の主体であるアートマンがブラフマンと一体になることは現世を超越することであるから、それが解脱であると考えられるようになった。

ジャイナ教(→p.61、68) 開祖はヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)で、アヒンサー(不殺生)をはじめとする厳しい戒律と苦行を特徴とし、霊魂の不滅を説く宗教。白衣派と空衣派の二派がある。多数派は穏健派の白衣派で、出家者は純白の衣のみ身に着けてよいとされ、所有物として托鉢用の鉢のみ認める。空衣派は、無所有という戒律を徹底するため、全裸で何も持たない。信者数は少ないが、在家の信者は宝石商や金融業を営む者が多く、社会的影響力が強い。

四苦八苦(→p.62) 生・老・病・死という根本的な苦である四苦に、①愛別離苦(愛する者との離別)、②怨憎会苦(恨み憎む者に出会う)、③求不得苦(欲望が満たされない)、④五蘊盛苦(現実を構成する要素は苦につながるので、生きているだけで自然に苦が発生する)の四つを加えてゴータマ・シッダッタが説いた苦を四苦八苦という。この苦から解放される方法が解脱である。

四法印(一切皆苦・諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)(→p.62、64) 法印とは法(真理)の要約という意味で、仏教の本質は次の4点にまとめられ、四法印と呼ばれた。①この世のすべては苦である(一切皆苦)、②あらゆる現象は常に変化する(諸行無常)、③どのような存在も不変の本質を持たない(諸法無我)、④煩悩が消えた悟りの世界は静かな安らぎの境地である(涅槃寂静)。

涅槃(ニルヴァーナ)(→p.62) 煩悩の炎が消された安らぎの境地。悟りの境地に等しいとされる。また、生命の炎が消されたということで、死去、入滅という意味にもなる。さらには、煩悩がなくなり、この世から離れるということで、解脱という意味でもある。

煩悩(→p.63) 心身を乱し、正しい判断を妨げる心の働き。本能的な欲望や感情、無知がそのおもな要素である。煩悩は自己中心的な考え方や執着から生じるともいわれる。

我執(→p.64) 自分自身や周りの物には永遠不変の自我・魂(アートマン)が実在すると考えて執着すること。自分の考え、行為、目的などに執着することは、真実を見失うことにつながるため、仏教では我執をいかにして克服するかが追求された。

縁起(→p.63) 因果関係のことで、現象は何らかの条件に応じて(依存して)生じるという意味。この世の様々な現象は無常であり、常に生滅変化し続けるが、その変化はまったくの偶然であるわけではなく、一定の条件の下で、一定の変化を起こすと説かれた。

無明(→p.63) 真実に対する無知をさす。これがもとになって固定的な見方や考え方が起こり、様々な煩悩が発生するとされる。原始仏教には、無明こそが最大の汚れであるという考え方がある。

初転法輪(→p.63、64) ゴータマ・シッダッタが鹿野苑(サールナート)において、初めて仏教教義を説いたことをいう。そこでは、四諦と八正道の教えが説かれたといわれている。「法輪」とは仏教教義のことで、それを伝えることを「転」という。「輪」は古代インドの武器(チャクラム)のことで、破邪を意味する。

四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)(→p.63、65) 四諦とは4つの真理という意味。①この世のすべては苦しみであるという苦諦、②煩悩は苦を招き集める原因であるという集諦、③煩悩・執着を捨てることが苦の消滅であるという滅諦、④八正道の実践が苦の消滅に向かう道だとする道諦からなる。

中道(→p.63、64) 快楽主義と苦行主義という両極端を否定するとともに、妥協的な態度を許さない姿勢を意味する。仏教の中道は、現世利益の追求という極端と、苦行の徹底という極端を厳しく批判したところに生まれた。この中道を具体的に示したものが八正道である。

三毒(→p.63) 貪・瞋・癡の三つで、人間が克服すべき最も根本的な煩悩のこと。貪は貪欲のことで、欲望を抑制せずむさぼること。瞋は瞋恚ともいわれ、感情を抑制せず怒り憎むこと。癡は愚癡ともいわれ、真理に対する無知のことである。この三毒を打ち消すための具体的実践例が八正道である。

八正道(→p.63、65) 解脱に向かうための8つの正しい修行の方法。①無常を認める正見、②欲から離れ慈悲に溢れる意志である正思 、③言葉で人を傷つけない正語、④生活・命を傷つけない正業、⑤人のために役目を果たす正命、⑥至らないところを克服する正精進、⑦自分を見失わない正念、⑧ありのままを見つめる正定がある。

慈悲(→p.63) 衆生(生きとし生けるもの)を輪廻の苦しみから解脱させようとする心。生けるものすべてに平安を与える(与楽)ことである「いつくしみ」と、苦しみを取り除く(抜苦)ことである「あわれみ」である。大乗仏教で特に強調され、慈悲に基づく利他行の重要性が盛んに説かれた。

仏陀(→p.63) 仏陀とは「目覚めた者、悟りを開いた者」という意味。多くの仏教部派ではゴータマ・シッダッタだけをさし、悟りを得たその他の人は、阿羅漢などと称された。のちに大乗仏教の時代になると、ゴータマ・シッダッタ以外にも多くの仏陀が存在すると説かれるようになった。

自利・利他(→p.66) 自らの悟りのために修行し、解脱に向かうことを自利といい、自己を犠牲にしてでも人々を救い導くことを利他という。大乗仏教では、自利と利他は両方重視され、「上求菩提 下化衆生」といい、自利のために悟りを求め、利他のために衆生を導くことが重視された。利他行は成仏の条件でもあるので、利他行は自利行の意味も持つ。

菩薩(→p.66) 悟りを開いてもなお現実に留まり、在家の人々を導きともに歩み救おうとする人。菩薩は慈悲、つまり他者に対する慈しみと他者の苦しみに同情し救済しようとする心を持って、一切衆生のためにまず行動する存在であるとされる。大乗仏教における理想の姿として、人々の信仰を集めた。

六波羅蜜(→p.66) 大乗仏教における6つの実践徳目。①財物を与え、真理を教え、安心を与える布施、戒律を遵守する持戒、②堪え忍び怒りを捨て慈悲の心を持つ忍辱、③絶えず努力を続ける精進、④心を集中させ安定させる禅定、⑤智慧を開き真相を究める智慧からなる。

部派仏教(→p.66) ゴータマ・シッダッタの死去から100年ほどのちに、戒律の解釈をめぐる意見対立が起き、仏教教団は保守的な上座部と革新的な大衆部に分裂した(根本分裂)。さらに両派内でも分派活動が行われ、多くの諸部派が発生したという。これら諸部派に分かれた当時の仏教を部派仏教という。

上座部(→p.66) 根本分裂によって派生した仏教の保守派。上座部はゴータマ・シッダッタの時代の仏教を保存しようとしてきたとされ、特に説一切有部はインドで最大勢力を誇った。その教義は『倶舎論』にまとめられている。

大衆部(→p.66) 根本分裂によって派生した仏教の諸派で、インド中部から南インドに広まったが、勢力はさほど大きくなかったという。大乗仏教のルーツであるという説がある。

大乗仏教(→p.66) 自分の解脱を求めるだけではなく、輪廻の苦しみにあえぐ衆生を救いたいと思う菩提心を起こし、それを実践する利他行を重視する仏教の宗派。大乗とは大きな乗り物という意味で、自分だけでなく衆生と一緒に悟りの彼岸へ行こうとすることを意味している。大乗仏教は中央アジアを経由し、おもに東アジアに広く伝わった。北伝仏教とも呼ばれる。

上座仏教(→p.66) 出家して修行に打ち込み、苦に満ちたこの世からの解脱をめざすことを重視する、仏教の保守的な立場。上座部の流れをくむ。インドにおいて様々な部派が発生し、教義の研究がなされた。スリランカから東南アジアに広がり、南伝仏教と呼ばれる。

阿羅漢(→p.66) 原始仏教や上座仏教において、修行者の到達しうる最高の存在で、尊敬や施しを受けるにふさわしい人という意味。中国や日本では、仏法を守ることを誓った16人の仏弟子が十六羅漢といわれ、信仰を集めている。一方、大乗仏教では自利のみを求める存在として批判の対象とされる。

五戒(→p.67) 出家をしない在家信者が守るべき基本的な5つの戒律。①生き物を殺さない不殺生、②人のものを盗まない不偸盗、③不倫をしない不邪淫、④嘘をつかない不妄語、⑤酒を飲まない不飲酒からなる。

無自性・空(→p.67) 確定・限定ができないことを無自性といい、無自性は空と等しい。ナーガールジュナ(竜樹)によって理論化された思想。万物には本質がなく、そのためすべては確定・限定ができない(無自性)。このような無自性が空であるとナーガールジュナは考え、それが世界の本質であると説いた。

唯識思想(→p.67) 外界の事物は実在せず、すべて心の働きである識の作用によって実在するように思われるものにすぎないとする思想。空の思想を継承しながらも、心の作用は仮に存在するとして、修行を通じて心を変化させ、悟りを得ようとする。アサンガ(無著、無着)、ヴァスバンドゥ(世親)兄弟によって大成された。

『般若心経』(→p.67) 空の思想を中心に大乗仏教の神髄がわずか三百字たらずでまとめられ、日本でも一般的に広く読まれている経典。日本では真言宗、臨済宗、曹洞宗が日々読経すべきものとしており、他宗でも重視されている。

「色即是空 空即是色」(→p.67) 『般若心経』の有名な一節で、世界の本質を表す言葉。「色即是空」は、事物は無自性だから、実体として存在するのではないということ。一方、その事物は諸条件に依存して発生し、その諸条件は常に同じというわけではなく、確定・限定ができない。そのため、無自性・空から事物が発生するということで、「空即是色」という。

六師外道(→p.68) ゴータマ・シッダッタと同時代に活躍した6人の思想家を、仏教の立場から異端視した呼称。ジャイナ教開祖のヴァルダマーナ、唯物論のアジタ・ケーサカンバリンとパクダ・カッチャーヤナ、道徳否定論のプーラナ・カッサパ、決定論のマッカリ・ゴーサーラ、懐疑論のサンジャヤ・ベーラッティプッタがいる。