用語解説 p263-275_現代日本の思想

『善の研究』(→p.264) 西田幾多郎の最初の体系的著述。1911年出版。東洋的な「主客合一」を「純粋経験」としてすべての基礎に置き、独自の哲学体系を構築した。

純粋経験(→p.264) 我と物、主観と客観とが対立する以前の、物心一体、主客未分の状態における経験のこと。西田幾多郎は『善の研究』で、この純粋経験こそが、最も直接的で具体的な真の実在であるとした。

主客未分(→p.264) すばらしい音楽に心を奪われ聴き入っている時のように、何かに没入(没頭)し、私(主観)と外部の何か(客観)とが一体となった状態。西田幾多郎によれば、この主客未分の状態が純粋経験である。主観と客観、精神と物質の対立が現れるのは、「この音は何か」というように、私たちが純粋経験を分析したり、反省したりして把握する時であるという。

「絶対無の場所」の論理(→p.265) 西田幾多郎の哲学の中心概念。西田の哲学が、西洋哲学から独立し、固有の体系に変貌する端緒となった、絶対無とは、相対的な有と無の対立を超え、あらゆる存在(個物)を包み込む場所であり、絶対無の自己限定から、相互に関係し合う個物が出てくる。

間柄的存在(→p.8、266) 和辻哲郎が、人間の存在を言い表した言葉。和辻は人間を、個人として存在するとともに、人と人との間柄(関係)において存在する間柄的存在と考えた。

人間の学(→p.267) 個人主義的な倫理観に基づく西洋の倫理学を批判した和辻哲郎が、自らの倫理学をさして用いた言葉。人間は間柄的存在であると考えた和辻は、人間の個人的な側面と社会的な側面が互いに否定し合う運動の中に、人間存在の根本的理法が見いだされると主張した。

民俗学(→p.269) 民間に伝えられてきた言語・風習・信仰・芸能などを通して、民族の生活文化の歴史を明らかにしようとする学問。イギリスに起こり、日本では柳田国男、折口信夫らによって学問として確立された。

常民(→p.269) 柳田国男が、民間伝承を保持している基層文化の担い手としての階層をさして用いた言葉。民俗学の研究対象で、例えば、ごく普通の生活を送る農民らをいう。初めは文字で書かれた史料を残す知識階級の反対語として用いられたが、のちには階層や職業を越えて、日本人全体をさす言葉として使われるようになった。

まれびと(客人)(→p.197、270) 折口信夫の用語。異なる世界(常世)から来訪して、人々に祝福を与えて去る神。はるか遠くにある常世から正月・盆などに定期的に訪れ、常駐はしない。折口は「まれびと」の概念をもとに、文学や芸能の発生を考察した。

民芸(→p.270) 民衆の作った工芸品を意味する、柳宗悦の造語。柳は、それまで美の対象として顧みられなかった日用工芸品のなかに、健康的な実用としての美が豊かに宿っていることを見いだし、民芸運動を興した。

神社合祀政策(→p.271) 神社の国家管理などをねらって明治政府が行った、全国の神社を1町村1社を標準として合祀する政策。1872年と1906年に出された神社合祀令により進められた。廃社となった神社の鎮守の森は伐採されることがあったため、南方熊楠は、地域の文化と、鎮守の森の貴重な生態系を破壊から守るために闘った。

『様々なる意匠』(→p.273) 1929年、小林秀雄27歳の文壇デビュー評論。当時流行していた「マルクス主義」「芸術至上主義」「新感覚派」などの文芸理論を、単なる「意匠」(装飾的な工夫)にすぎないと批判した。

無責任の体系(→p.274) 丸山真男が論文「超国家主義の論理と心理」で指摘した、明治時代から第二次世界大戦に至る天皇制下の日本の政治の特徴。政策決定者に主体性が欠如し、そのために誰が責任を持つのかがはっきりとしない政治のあり方。

『雑種文化』(→p.275)  加藤周一による評論。純粋な西洋文化に対し、日本文化を雑種文化と位置づけて、外来思想を独自に消化していく日本のあり方を積極的に評価し、そこに「希望」を見いだそうとした。