●蘭学(→p.241) いわゆる「鎖国」政策を取っていた江戸時代にあって、その中期以降に、オランダ語によって西洋の学術や文化を研究した学問。思想的な研究は制約され、医学・暦学・兵学・物理学・化学など実用的な科学技術の研究が進められた。
●『蘭学事始』(→p.241) 1815年、杉田玄白が83歳の時に著した回想録。『解体新書』翻訳の苦心を中心に、蘭学発展の経緯をまとめたもの。
●「東洋道徳、西洋芸術」(→p.243) 佐久間象山の言葉。道徳や社会・政治体制の面では伝統を保ちつつ、科学技術の面では西洋のものを積極的に取り入れようとする主張。和魂洋才のあり方を示すもの。
●和魂洋才(→p.243) 日本固有の精神を根底に、西洋の技術を積極的に受容し活用しようとする態度を示す言葉。新井白石の『西洋紀聞』にこれに通じる考えがすでに見られ、さらに幕末に多くの人々が様々な表現で訴え、明治以降も西洋文化受容の基本的態度として引き継がれていった。
●尊王攘夷論(→p.244) 江戸末期に尊王思想(天皇崇拝思想)と攘夷論(外国排斥思想)とが、幕藩体制の矛盾激化と外圧の現実化により結合した政治思想。水戸学や吉田松陰らによって唱えられた。
●一君万民論(→p.244) 吉田松陰の主張。松蔭は、「天下は一人の天下」であり「天皇のもとに万民は平等」とし、藩の枠を超えてすべての日本人が天皇に「誠(「功名や利欲を離れた純粋な心情」)」をもって「忠」を尽くすといことを主張した。