●哲学(フィロソフィア)(→p.26) 「哲学」と訳される語の元は英語のphilosophyであるが、それはギリシア語の「知恵(sophia)」を「愛する(philein)」に由来する。西周はそれを「希哲学」・「希賢学」とも訳すことを試みたが、結局「哲学」という訳に落ち着き一般にも定着した。
●自然哲学者(→p.26) 紀元前6世紀頃に登場した、自然界の変化のおおもとを探究する学問(自然哲学)を行った哲学者。神話(ミュトス)ではなく、論理的な言語活動(ロゴス)を重視したことから、後世に哲学の始まりといわれた。タレスに始まる。
●ロゴス(→p.26) ギリシア語で「言葉」という意味。言葉は論理や理性的なものをつかさどるため、ギリシア人はのちにこの言葉に論理や理性、法則という意味も持たせるようになった。
●アルケー(根源・原理)(→p.26) ギリシア語で、本来「始まり」を意味し、そこから「原因」「根源」「原理」という意味を持つようになった。自然哲学は自然界すべてを作り出す「一つの何か」であるアルケーを探究する学問で、最初の自然哲学者のタレスはそれを水であるとした。
●ソフィスト(→p.28) ギリシアのポリスを巡り、弁論術や政治的な知識を教え、その対価として金銭を得たとされる人々。その弁論術はソクラテスやプラトンによって批判された。
●弁論術(→p.28) 裁判や民会などにおいて相手を言葉で説得する技術。民主制が確立したアテネにおいて求められ、ソフィストはこれを教えるとされた。自然哲学の場合とは異なり、人を説得する手段としてのロゴスのあり方が追究された。
●相対主義(→p.28) すべての価値の基準は国や時代によって異なり、普遍的な価値の基準は存在しないとする考え方。ソフィストは相対主義に立ったが、ソクラテスはそれを批判した。
●ピュシス(→p.29) ギリシア語でありのままの自然の本性を意味し、ノモスのような人為的なものとは異なる。自然哲学者たちはピュシスの根源であるアルケーを探究した。
●ノモス(→p.29) ギリシア語で人為的なものを意味し、社会の法律や制度、さらには道徳という意味になった。ソフィストはノモスをピュシス(自然)と対立的にとらえ、ノモスは価値にかかわるものであり、相対的であるとした。
●万物の尺度は人間(→p.29) プロタゴラスの言葉。価値の相対主義を言い表すものと理解されている。尺度とは、本来個々人を離れて客観的に設定されているはずであるが、ある人にとって善とされることが、他者にとってもそうとは限らない。人が変わり国が変わり時代が変われば、価値の尺度は変わる。客観的な善や正義の基準を否定する考えであると解釈されている。
●デルフォイの神託(→p.30) デルフォイは、アポロン神を祀る神殿があったギリシアの地名。そこに仕える巫女を通してアポロン神のお告げが伝えられる神託の場所として有名であった。ソクラテスの友人もここで神託を受けた。
●無知の知(→p.30) 自分が知っていると思っていることが思い込みでしかなく、自分が実は無知であることを自覚すること。ソクラテスは、神託「ソクラテス以上の知者はいない」ということの意味を探究する中で気づき、問答法によって相手にも気づかせようとした。
●汝自身を知れ(→p.30) デルフォイの神殿の柱に刻まれていた言葉。「身のほどをわきまえろ」という意味の教訓として理解されていたが、それをソクラテスは自己の無知を自覚せよという意味にまで深めてとらえた。
●善美の事柄(→p.30) よいことは同時に美しいという考え方。ソクラテスは金銭や地位や名誉ではなく、生き方においてよく美しいあり方を追究すべきであると考え、それが哲学の目的であるとした。
●問答法(助産術)(→p.31) 相手に問い、その答えにさらに問うことを繰り返すことによって、相手に自分の考え方を吟味させて自分の無知に気づかせ、その無知の知から相手自身に真理を見いださせようとするソクラテスの真理探究の方法。相手が自分自身で真理を見いだすのを助けることから、ソクラテスの母の職業にちなんで助産術ともいう。
●エイロネイア(→p.31) 皮肉を意味する英語のironyの語源。ギリシア語では本来、心に思うことと反対の発言をすることを意味し、また、無知を装うことを意味した。この態度によって、ソクラテスは相手に問答法をしかけた。
●魂(プシュケー)(→p.31) ギリシア語で本来「息」を意味し、それから生命、さらに人間の魂を意味するようになった。ソクラテスは、魂に倫理的生き方の主体としての意味を持たせた。
●魂への配慮(→p.31) 魂がよくなるように配慮=世話をすること。ソクラテスは魂のよさを徳であると考え、魂への配慮の必要性を主張した。
●徳(アレテー)(→p.28、31) 本来、様々な物・事柄の最もよいあり方を意味する言葉。そこから、人間そのものの最もよいあり方を意味するようになった。ソクラテスは、徳を魂のよさと認識した。
●福徳一致(→p.31) 徳が何であるかを知り、それに基づいて正しく生きることは、魂を安全に保ちその人を幸福にするというソクラテスの考え方。一方、徳が何であるか知らず、不正を行うことは自らの魂を傷つけ不幸にするという。
●知徳合一(→p.31) 徳とは何であるか正しい知識を持つことが、魂のよさとしての徳がそなわるために必要である。さらに徳を知っていれば徳に反する生き方をするはずはないとソクラテスは考え「徳は知である」と唱えた。
●知行合一(ソクラテス)(→p.31、33) 徳が何であるかを知れば、人はそれに基づく正しい生き方ができるはずであるとするソクラテスの考え方。
●普遍的な定義(真理)(→p.32) 普遍的とは、いつでも、どこでも、また誰に対しても成り立つことを意味する。ギリシア哲学においてロゴスは、自然哲学以来、物事の普遍的な定義、つまり真理を発見する能力として理解されていた。
●アカデメイア(→p.34、35) プラトンが設立した学園。ソクラテスが刑死したのち、アテネ郊外に若者の教育のために設立された。
●イデア(→p.34~37) プラトンが考えた真の実在で、プラトンの哲学の中心となる考え方。本来は物の姿形という意味であったが、プラトンは、感覚ではなく理性によってとらえられる真の実在という意味で用いた。感覚の対象は変化するものであり、常に不変に存在するものはないが、イデアは対象の本質であり、永遠不変である。
●イデア界(→p.34) 多様で不完全な三角形の図形に対応して三角形のイデア、多様で不完全な美しいものに対応して美のイデア、「不正」や現実の「正義」のようなものに対してイデアとしての正義…。こういったイデアの集合体としてプラトンはイデア界を想定した。その世界の秩序の中心に善のイデアがあると考えた。
●善のイデア(→p.34、35) よいものをよいものとして存在させている善そのもの。プラトンは、善のイデアはイデアの中で最高のイデアだと考え、それがこの世の秩序を形作っているとした。
●想起(アナムネーシス)(→p.34~36) イデア界の記憶を想起する(思い起こす)こと。プラトンは、人間の魂はかつてイデア界にいて、その時の記憶が魂の奥にあるが忘れているため、想起が哲学の課題であると考えた。
●エロース(→p.35、36、72) 本来は、ギリシアにおける恋愛の神または恋愛を意味するが、プラトンは、人間の魂が完全なもの・価値あるものを求める愛、イデアに向かう思いとしてとらえた。
●魂の三部分説(→p.35、36) 魂をその機能に即して三つに区分して議論するプラトンの立場。①理性的な部分、②欲望の部分、③気概の部分(怒る部分)を考えた。これら三つの部分がそれぞれの徳をそなえれば、全体として調和が実現することから四元徳を考えた。
●四元徳(→p.35、50) 知恵・勇気・節制に正義を加えた基本的な四つの徳。プラトンは魂の三部分に対応させて論じた。理性がそなえるべき徳として知恵、気概がそなえるべき徳として勇気、欲望を含む三つがそなえるべき徳として節制をとらえ、さらにこの三つの部分がそれぞれにその徳をそなえ全体として調和が実現した時、魂全体に正義という徳がそなわると考えた。
●哲人政治(→p.35、36、40) プラトンが理想とした政治のあり方で、哲学者が政治を行うというもの。プラトンは、魂と同様に、国家も三つに区分してとらえた。善のイデアを認識し、知恵という徳をそなえた人物が統治者階級として政治をつかさどり、防衛者階級が勇気の徳をそなえ、生産者階級を含む三つの階級が節制の徳をそなえることによって、国家の全体に正義の徳がそなわり、理想の国家が実現すると考えた。
●形相(エイドス)(→p.38) 本来、姿形という意味。アリストテレスは物の存在の原因を形相と質料(ヒュレー)の二つから考えた。形相とは物に内在し、それが何であるかを規定する本質であり、イデアのように現実の世界にある物を超越して存在するのではない。
●質料(ヒュレー)(→p.38) 本来、材料という意味。物の存在の原因のうち材料にあたるもの。形相と結びついて具体的な物を形成する。
●観想(テオーリア)(→p.38) ギリシア語で本来「観る」という意味。それが、実用を離れ、理性的に考えて物事の本質・真理を「観る」という意味にまで深められた。英語のtheory(理論)の語源。アリストテレスは、物事の真理を追究する観想的生活こそ人間に最もふさわしい幸福な生活であると考えた。
●知性的徳(→p.39、40) 知恵(ソフィア)や思慮(フロネーシス)などからなる。教育や学習によってそなわる。なかでも思慮は、性格的徳を指導し、過度を避け何が中庸であるかを判断する能力。
●性格的徳(習性的徳・倫理的徳)(→p.39、40) 人間の人柄としてのよさで、習慣的な繰り返しでそなわる徳。知性的徳とは異なり、よいこととしてわかったからといってそなわるわけではなく、わかったうえでそれが習性となり習慣(エートス)とならなければならない。アリストテレスにとって、倫理学はよきエートスとは何であるかを問うものであった。
●中庸(メソテース)( →p.39、40) どのようなことが性格的徳(習性的徳・倫理的徳)としてそなえるべきものかという判断基準になるもの。アリストテレスは物事の過度と不足を避け、ちょうど真ん中を選び、そなえるべきだとした。
●「人間は自然本性的にポリス的動物である」(→p.8、39) アリストテレスによる人間の定義。アリストテレスは個人の行動とともに社会のあり方を重視し、最高の生活はポリスという共同体で実現され、人間はその中で生きる動物であるとした。
●友愛(フィリア)(→p.39、40、72) 友情における愛。恋愛と異なり、友愛は相互的なもので、人々を情緒的に結びつける、ポリスに不可欠な徳である。
●正義(→p.39) ポリスにおいて人々を理性の面で結びつける徳。アリストテレスは、正義を全体的正義と部分的正義に分類し、さらに部分的正義を配分的正義と調整的正義に分けた。
●世界市民(コスモポリテース)(→p.41) ポリスと一体化した個人ではなく、世界国家の一員としての個人。アレクサンドロス大王の東方遠征開始以降、ギリシアでは個々のポリスの独立が失われ、地中海周辺世界での人々の交流が盛んになった。そのようなヘレニズム時代には、世界市民の生き方を探究する倫理が求められた。
●アタラクシア(→p.41、42) ギリシア語のタラクシアに否定のアを付けたもので、煩いのない状態を表す。快楽が幸福であり、人生において追求されるべき善であるという快楽主義に立つエピクロスは、心に煩いがなく、平静な状態であるアタラクシアを幸福と考え、それが快楽であり、そのような状態を実現する生き方をよしとした。
●情念(パトス)(→p.42) 英語のpassionの語源。古代ギリシア人は、人間の魂にはロゴスの部分とパトスの部分があり、パトスはロゴスに対立すると考えた。
●アパテイア(→p.42) ギリシア語のパトスに否定を表すアが付いたもの。情念(パトス)のない状態を表す。外界からの刺激によって心が乱されないこと。ストア派が理想の境地としたもの。
●ストア派(→p.42) 紀元前3世紀にゼノンによって始められた学派。ロゴスを人間の理性のみならず自然を貫く理法としてとらえ、人間も自然もロゴスを共有しているとする。人間はこのロゴス(理性、理法)に従って生きることが善であり、また幸福であるが、それを妨げるものが情念である。そのためパトスに縛られない状態であるアパテイアを理想の境地とした。
●禁欲主義(→p.42) 理性や意志によって感情や欲望をコントロールし、理想の境地に達しようとする考え方。ストア派はこの立場に立つ。
●新プラトン主義(→p.42) 3世紀後半から6世紀にかけてヘレニズム世界やローマ帝国で盛んとなった思想。プラトンのイデア論を受け継いだ。プロティノスによって確立され、究極原因である一者との合一を説き、キリスト教の教父哲学にも影響を与えた。