用語解説 p230-240_国学・庶民の思想

国学(→p.231) 儒教や仏教などの外来思想の影響を受けていない、日本固有の純粋な精神を究明しようとする学問。その研究対象は『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』などの日本の古典であり、文献学的な研究方法が用いられる。日本古来のあり方を明らかにする点では評価されるが、一方で偏狭な国粋主義に陥る危険性もある。実際に、幕末の尊王攘夷思想に多大な影響を与えた。

高く直き心(→p.231) 『万葉集』にみられる精神で、賀茂真淵はこれを古代日本人の心情であると唱えた。素朴で高貴、力強くて真っ直ぐな精神。

ますらをぶり(→p.231) 『万葉集』の歌風にみられる男性的でおおらか、荒々しく力強い風格のことで、賀茂真淵はこれを日本人の精神とした。

古道(→p.231) 儒教や仏教といった外来思想の影響を受けていない日本人固有の純粋な精神のもと、日本人のよるべき道。ありのままの自然な感情を重視する。

惟神の道(→p.232) 『古事記』、『日本書紀』にみられる、神々の振る舞いに発する習俗で、日本固有の道。本居宣長は、人為を加えず、神の道に従うことであるとしている。

真心(→p.232) 「まごころ」であり「まことのこころ」、「よくもあしくも生まれつきたるままの心」であり、本居宣長が日本固有の精神としたもの。儒教では欲は否定され、抑えなければならないとされるが、宣長は、利欲をも含めた自然な感情を重んじ、真心こそ大和心であるとする。

漢意(→p.232) 儒教や仏教など外来思想の影響を受けた考え方、生き方をさし、賀茂真淵や本居宣長はこれを浅はかな「さかしら」であると批判した。真心に対置されるもの。

もののあはれ(→p.232) 物事にふれた時に人間の心に起こる素直な感動・共感。「あはれ」とは感嘆詞の「ああ」とその後の息継ぎの音「はれ」が短縮された言葉で、本居宣長はこれを文芸の本質とし、「もののあはれ」を知る人を心ある人とした。

たをやめぶり(→p.233) 『古今和歌集』の歌風にみられる女性的で優しい様子のこと。賀茂真淵は古代の純粋さを失ったものとしてこの様子に批判的であったが、本居宣長はこの繊細な精神を重視した。

復古神道(→p.234) 平田篤胤が体系化・完成した、国学者によって提唱された神道。儒教や仏教の説を排し、日本固有の純粋な神の道を説く。神の子孫であるとされる天皇の絶対性と日本の諸外国に対する優越性を唱えて庶民の間にも広がり、尊王攘夷論の理論的根拠ともなった。

石門心学(→p.235) 石田梅岩が提唱した町人の修養のための学問。梅岩自身の生活体験に神道・儒教・仏教・老荘思想などを融合したもので、商人の利潤追求を正当化したところに特徴がある。

正直(石田梅岩)(→p.236) 石田梅岩が説いた町人が守るべき徳目。利己心を離れること。梅岩は商人の利潤追求を肯定したが、暴利を貪ることは戒め、正直であることを説いた。

倹約(→p.236) 世間の富を大切にし、身に過ぎた贅沢をしないこと。正直と並んで石田梅岩が町人の徳としてあげたもので、正直と倹約を基本に、勤勉に家業に励むことがよいとされた。

知足安分(→p.236) 石田梅岩が説いた、町人のあるべき生活態度。「足るを知り、分に安んず」という意味で、封建的身分秩序の中で自らの職分に満足し、正直・倹約に生きることをさす。

加上説(→p.237) 富永仲基が唱えた仏教発達史論。大乗仏教は釈迦の教えを説いたものではなく、後の解釈が付け加えられたというもの。釈迦が深い瞑想に入っている間、五百羅漢が釈迦の語った教えを様々に解釈していた。釈迦が悟りを開き瞑想から覚めた後、いずれの解釈が正しいかを釈迦に問うたが、釈迦はいずれの解釈も本意そのものではないけれど、本質に従っているので釈迦の教えとしてよいと認めた。この解釈が大乗仏教の思想である。

無鬼論(→p.237) 山片蟠桃が唱えた合理的理論。迷信や霊魂、神仏の存在を徹底的に否定したもの。

条理学(→p.237) 三浦梅園が唱えた、自然を条理によってとらえる理論。天地万物には気がそなわっており、それらが法則によって現れるが、その法則を条理という。条理は世界のあり方を規定しているという。

自然世(→p.238) 安藤昌益が理想とした万人直耕の社会。万人直耕とは、すべての人が直接農業に従事することで、安藤昌益が人間本来の姿としたもの。自然世は上下の身分差がなく、人間はみな平等な社会で、昌益はこれを自然な社会の姿とした。

法世(→p.238) 人為的な「こしらえた世」のこと。自らは田畑を耕さず、他者の収穫物を貪り食べる不耕貪食の徒が法によって世の中を治めている社会を安藤昌益は法世と呼んだ。そのような社会にしたものとして、仏教・儒教・神道が批判された。

互性(→p.238) 安藤昌益の思想で、天と地や男女など、一見、対立しているように見えるものが、互いに依存して働いている関係をさす。その運動は自然活真と呼ばれる。

天道・人道(→p.239) 二宮尊徳によれば、天道は天地自然の営みのことで、作物を育成させたり雑草をはやしたりすることなどをさす。一方、人道は人為的な人間の働きで、天道に従う。尊徳は、農業は天道と人道の双方があって成り立つとした。

分度・推譲(→p.239) 二宮尊徳が説いた、農民の守るべき徳目で、農村復興のための具体的実践。
分度:不相応に財を浪費するのではなく、自分の分を守り、経済力に合った生活設計を行うこと。
推譲:倹約して生まれた余裕を将来の飢饉にそなえて蓄えたり、困窮した者に譲り与えたりすること。

報徳思想(→p.239) 天の恵みに感謝し、その恩に報いようとすること。二宮尊徳が農業に従事するにあたり根本においた態度。もともと『論語』にある「徳をもって徳に報いる」に由来するが、尊徳は、農業は天道に感謝し人道を尽くすことであるとし、分度と推譲を実践することを説いた。これによって農村を復興させる方法を報徳仕法という。