●京学(→p.220) 徳川家康に朱子学を講義した藤原惺窩に始まる学派。土佐の南村梅軒に始まる南学に対して京学という。江戸幕府のお抱かかえとなった林家の系統や、優れた弟子を輩出した木下順庵など、多くの朱子学者がこの学派から生まれている。
●上下定分の理(→p.221) 天地自然に上下の区別があるように、人間社会にも上下の身分差があるのが道理であるとする考え。林羅山が主張した、江戸幕府の身分制度を正当化する思想。この思想により、羅山は幕府に重んじられ、その子孫は代々御用学者となった。
●存心持敬(→p.221) 林羅山が主張した、常に心に敬を保ち、上下定分の理を体現すること。敬とはつつしむこと、私利私欲を抑えることであり、朱子学で最も重視された徳目である。朱子学における居敬にあたる。
●垂加神道(→p.223) 山崎闇斎が創始した神道。吉田神道と朱子学を融合し、神儒一致を説いた儒家神道。非合理的であるとして批判されたが、天照大神が子孫である天皇に日本の統治を任せたという、いわゆる「天壌無窮の詔勅」を道とするといった国粋主義的性格が、のちの尊王運動に影響を与えた。
●水戸学(→p.223、244) 徳川光圀の命による『大日本史』の編纂などを通じ、水戸藩で深められた思想。17世紀後半からの前期と、19世紀の後期の二期に分けられ、水戸学という呼び方は、狭義には後期をさして用いられる。尊王を説き、藩の枠組みを超えて日本全体を天皇をいただく国ととらえ、名分論や国体論などにより、尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。
●孝(中江藤樹)(→p.224) 中江藤樹は、儒教において子が親に尽くす徳目とされた孝を、宇宙万物を貫く普遍的な原理としてとらえ直し、親子のみならず、すべての人間関係を成り立たせるものと考えた。藤樹によれば、孝は具体的には愛敬の心として現れる。
●時・処・位(→p.224) 処は場所、位は身分のことをさす。実践を重視した中江藤樹は、陽明学における致良知(善悪を判断する良知を働かせること)や知行合一を重んじるとともに、孝という道徳も時・処・位に応じて実践されるべきであるとした。
●古学(古学派)(→p.226) 朱子学や陽明学のような後世の解釈を排し、孔子・孟子の教えを直接のよりどころとすることを説いた儒教の学派。山鹿素行によって唱えられた。このような立場は中国では生まれず、日本独自の儒教の立場とされる。山鹿素行の古学を特に聖学と呼ぶこともある。
●士道(→p.226) 山鹿素行によって確立された武士道。農工商の三民はそれぞれの生業に忙しく、徳を修めることができないので、徳を修め、三民を教え導くのが武士の道であるとする。戦乱の世が終わった後の、泰平の世における武士の倫理を説いたもの。
●武士道(→p.226) 武士としてのあるべき生き方やそのための心構え。その起源は鎌倉時代の「武家のならい」・「兵の道」にあるが、戦国時代を経て江戸時代になると、山鹿素行や、山本常朝らによって洗練されていった。明治維新後も、内村鑑三や新渡戸稲造に多大な影響を与えた。
●古義学(→p.227) 伊藤仁斎が説いた古学の一派。『論語』、『孟子』といった原典に立ち返り、それらの古義を求め、孔子や孟子の本来の教えを明らかにしようとしたもの。古義とは、『論語』や『孟子』が書かれた当時の言葉の意味のことをさす。
●仁(伊藤仁斎)(→p.227) 伊藤仁斎は、儒教の根本的な徳である仁を愛であるとし、それは日常生活でも自然と現れるものであると考えた。この考えに基づき仁斎は、朱子学は形而上学的になりすぎ、孔子や孟子の時代にあった、素朴な人間関係についての倫理を失っていると批判した。
●誠(→p.227) 自他に対して偽りのない純粋な心情で、真実無偽の心。仁愛を成り立たせているもの。具体的な実践として忠信と忠恕がある。
●古文辞学(→p.228) 荻生徂徠を祖とする古学の一派。古代中国の文章や言葉を古文辞といい、中国の古典や聖人の文章に直接ふれ、正確に読み解くことで古代の聖人の教えや儒教の本義を明らかにしようとするもの。
●礼楽刑政(→p.228) 礼は儀礼・社会的規範、楽は音楽、刑は刑罰、政は政治制度をさす。これらは、五経に楽経を加えた六経に示された先王の道である。
●先王の道(→p.228) 先王とは堯・舜などの中国古代の聖人のことで、彼らが定めた政治制度を荻生徂徠は先王の道と呼んだ。徂徠によれば、道とは朱子学のいうように自然に存在するものではなく、先王が人為的につくったものであるとされる。
●経世済民(→p.228) 世を経め民を済うこと。荻生徂徠によれば、儒教は個人の徳を高めるためにあるのではなく、経世済民により広く天下を安んずる道であるという。economyの訳語である「経済」という言葉は、この経世済民に由来する。
●『葉隠』(→p.229) 佐賀藩鍋島家に仕えた山本常朝の口述を筆記したもので、江戸時代中期に成立。冒頭に「武士道というは、死ぬことと見つけたり」とあるように、主君への忠節と死への不断の覚悟を説いている。