●鎌倉仏教(→p.208) 平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった仏教改革の運動から生まれた、新しい仏教。易行(易しい修行)・選択(救済方法の選択)・専修(ひたすら打ち込む)を特徴とする。浄土宗などの新宗派が誕生しただけではなく、既存の南都六宗、天台宗、真言宗にも変革が起きた。
●浄土宗(→p.208) 法然を開祖とする宗派。阿弥陀仏の本願を信じ、専修念仏によって西方極楽浄土へ往生する(生まれ変わる)ことを説く。『選択本願念仏集』が根本聖典である。成立当初から鎌倉時代にかけては特に旧仏教側から激しい非難を受けたが、のちに、徳川家康によって手厚い保護を受けるようになった。
●弥陀の本願(→p.208) 阿弥陀仏が仏になる前、修行するにあたってかけた四十八の願で、阿弥陀仏の慈悲を意味する。この中の第十八願が重要で、わずか十回でも念仏して西方(極楽)浄土へ生まれ変わることができなければ悟りを開かない、という内容である。ここから、十回でも念仏すれば浄土へ往生できるという教えが生まれた。弥陀の本願を信じることが浄土系諸宗派の基本である。
●専修念仏(→p.209) 阿弥陀仏の本願と他力を信じて、ただひたすらに「南無阿弥陀仏」と念仏を称えること。このような易行は、民衆に広く仏教が受け入れられる契機となった。
●「南無阿弥陀仏」(→p.209) 「私は阿弥陀仏に帰依いたします」という意味の言葉で、名号といわれる。衆生が浄土に往生するきっかけとなる言葉であり、特に親鸞や一遍はこの名号自体を本尊として重視した。
●聖道門(→p.209) 自力の修行に励んでこの世で悟りを開き解脱をめざす、古くからある教え。自力と難行を特徴とする。対義語は「浄土門」。
●浄土門(→p.209) 阿弥陀仏の本願を信じて念仏し、浄土に生まれ、来世に悟りを得ようとする教えで、他力と易行を特徴とする。人々の教えを受け入れる能力が衰えるとされる末法の時代にあって、念仏往生こそが時代にかなう教えだという確信に基づく考え方。
●浄土真宗(→p.210) 親鸞を開祖とする宗派。親鸞自身は新たな宗派を作る意志はなかったが、没後に宗派が形成されていった。江戸時代には一向宗とも呼ばれた。本堂に特徴があり、本尊を安置する内陣に比べ、参拝客が礼拝する外陣の方が圧倒的に広い。親鸞の命日の前後に、報恩感謝のために「報恩講」という法要が毎年開かれる。
●悪人(→p.210) 煩悩を自らの力で滅ぼすことができず、阿弥陀仏の他力に身を委ねるほかない人のこと。「煩悩具足の凡夫」ともいう。善人は、自力で修行し解脱をめざす自力作善の人のことである。親鸞によれば、自力で往生しようとするのは阿弥陀仏を疑っていることになる。また、人は煩悩にまみれており、善悪の判断基準など各人が勝手に作っているものにすぎないから、根源的にはすべての人が悪人であるという。
●悪人正機(→p.210) 悪人こそが阿弥陀仏によって救われるとする親鸞の教え。悪人は、阿弥陀仏の光明に照らされて真理にめざめると、自力では解脱などできるはずもないことに気づき、阿弥陀仏を心の底から信じるようになる。それが救いのきっかけだという。しかし、だからといって自堕落になる人は「本願ぼこり」といって戒められた。
●非僧非俗(→p.210) 親鸞が越後に流罪となった際に表明した、出家中心の仏教でも世俗の権力のための仏教でもないことを示す立場。当時の僧は国家資格であり、権力によって保護される代わりに、朝廷や貴族のために祈禱を行う存在であった。親鸞は、そのような制度に縛られた僧ではなく、かといって俗人でもない求道者であろうとした。
●肉食妻帯(→p.210) 肉食と妻帯は、仏教の戒律では固く禁じられていた。しかし親鸞は、どんな人でも阿弥陀仏の手によって救われることを伝えようと、あえて肉食妻帯してみせたといわれている。また、明治政府が「肉食妻帯勝手たるべし」として、国家が関与しないとする政策をとって以降、日本の仏教全般で肉食妻帯が一般的となった。
●絶対他力(→p.211) 自らのはからいを完全に捨てて、すべてを阿弥陀仏のはからいに委ねる信仰のあり方。親鸞は悪人は専修念仏という易行すらできない存在であると考え、絶対他力という考えに至った。これは、念仏よりも信心を重視することにつながり、修行ではなく信仰心こそが救いの端緒となることを明確にした。
●自然法爾(→p.211) 事物が作為を超えて、自然に存在するという意味で、仏教界のみならず思想界で広く用いられていた言葉。親鸞はこの言葉を念仏信仰に当てはめ、人はおのずから自然に、あるがままに身を任せていても阿弥陀仏の手によって救われるとした。なお、法然の名はこの言葉に由来する。
●踊念仏(→p.212) 踊りながら太鼓や鉦を打ち鳴らし、仏や教えを誉め称える和讃や念仏を称えること。阿弥陀仏に救われる喜びを共有するために、時宗の開祖である一遍が広めた。踊ることから歌舞音曲と結びつきやすく、芸能を生業とする人の多くが時宗信徒となった。
●坐禅(→p.213) 姿勢を正して坐り、精神統一を行うこと。公案を重視し、修行中に与えられた課題を考えながら坐禅を行う看話禅と、一切の思考を断絶してただ坐る黙照禅など、様々な流儀がある。
●公案(→p.213) 悟りを開くために、修行中に師から与えられる課題で、特に臨済宗で重視されている。修行者は坐禅を組みながら答えを考え、師と禅問答を行う。「両手を打ち合わせると音がするが、片手ではどんな音がしたか答えよ」(隻手の声)といったものがあり、一般的な理屈を超えた、禅や仏説の神髄に迫る解答が求められる。
●只管打坐(→p.214) 思考や作為をすべて捨てて、ただひたすら坐ること。専心打坐ともいう。これは、ゴータマ・シッダッタが悟りを開いた手段であり、仏道修行の神髄だとされ、曹洞宗の根本的な修行法とされた。
●『正法眼蔵』(→p.214) 道元が曹洞禅の思想を論究し、20年以上もかけて著した、87巻に及ぶ大著。当時の仏教書は漢文で書かれていたが、道元は真理を広く誤解なく伝えたいという思いから、仮名を用いた当時の日本語で書き著した。
●身心脱落(→p.215) 肉体的な感覚や心の働きをすべて捨てた状態のこと。只管打坐は、身心脱落となっていることと等しいと道元は説いた。身心とは自己のことである。
●修証一等(→p.215) 修行という手段によって悟るのではなく、修行は悟りそのもので、修行と悟りは不可分だということ。道元の思想の重要な要素。只管打坐という修行は身心脱落であり、それは悟りの境地に等しいという。日常生活も修行ととらえた曹洞宗では、日々生きることがそのまま仏の行いだとされる。
●日蓮宗(→p.216) 日蓮を開祖とする宗派で、法華宗ともいう。大乗経典の一つである法華経を最高の経典であるとし、「南無妙法蓮華経」と法華経の題目を唱える唱題の行により救われると説いた。
●唱題(→p.216) 「南無妙法蓮華経」と法華経の題目(表題のこと)を繰り返し唱える修行。成仏のための手段とされた。法華経系の宗派で最も重視される修行法であり、唱題を行えば、経典のすべてを読んで実践することと等しい功徳があるとされる。
●「南無妙法蓮華経」(→p.216) 「私は法華経の教えに帰依します」という意味。日蓮宗では、法華経にはゴータマ・シッダッタによって説かれた宇宙の真理があるとされる。法華経に帰依することは、両者に帰依することだから、「南無妙法蓮華経」と唱えれば、真理を体得することができると考えられた。
●四箇格言(→p.217) 「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」という、日蓮による他宗批判の言葉。念仏は浄土宗、禅は禅宗、真言は真言宗、律は律宗をさす。日蓮は他宗を厳しく批判し、相手の誤りと思える主張を論破するような激しい布教法を行ったため反感も大きく、迫害・弾圧を受けた。
●法華経の行者(→p.217) 迫害を覚悟しながら、法華経の教えを説き実践する人のこと。日蓮は諸宗派やその支持者から激しい迫害を受けたが、法華経を信じるものは迫害を受けると法華経自体に書かれていたため、自らを法華経の行者と考え、かえって使命感を強めたといわれている。
●御文章(御文)(→p.218) 蓮如が書いた手紙をまとめたもので、末法思想や他力本願の考え方がわかりやすく説かれている。浄土真宗では聖典として扱われている。
●黄檗宗(→p.218) 隠元隆琦によって日本に伝えられた禅宗の一派。自己の中に浄土と阿弥陀仏を見いだそうとする、禅と浄土思想の融合した教えを説く。日本の禅宗にも影響を与えた。本山は萬福寺(京都府宇治市)で、建物や仏像の様式だけでなく、儀式作法や精進料理も中国風である。