用語解説 p200-206_日本仏教の受容

和の精神(→p.201) 「憲法十七条」の第一条に規定され、のちの日本人の精神に大きな影響を与えた精神。集団における協調性を優先する。

「憲法十七条」(→p.201) 604年に聖徳太子によって定められたと『日本書紀』に記されている。現在の国の最高法規としての憲法とは異なり、豪族を国家に仕えさせるため、役人としての心構えを示したもの。仏教・儒教・法家の思想や、日本の伝統思想をもとにしている。

凡夫(→p.201、210) 欲望にとらわれた存在としての人間のことで、悟りに到達した仏と対比される。聖太子は、仏からみれば人間はみな、凡夫にすぎないとし、互いの優劣を論ずることの無意味さを説いた。のちに親鸞は、悪人を「煩悩具足の凡夫」と表現している。

三宝(→p.201) ①仏(悟りを開いた者)、②法(仏の教えとしての真理)、③僧(仏の教えを実践し修行する者)の三つをさす。「憲法十七条」の第二条に「篤く三宝を敬え」と規定されている。

「世間虚仮、唯仏是真」(→p.201) 「世間は虚仮なり、唯仏のみ是真なり」と読み、この世は虚しく仮のものであり、ただ仏だけが真実であるという意味。中宮寺所蔵の『天寿国繡帳』に記され、聖徳太子の生前の言葉とされる。

鎮護国家(→p.202) 仏教の力により天下国家の安泰を図ること。古代日本では仏教と国家の結びつきが強く、特に奈良時代の聖武天皇は、国分寺の建立や東大寺大仏の造立など、仏教に頼る政治を行った。平安時代は密教にも鎮護国家の役割が期待されたといわれる。

南都六宗(→p.202) 奈良時代の①三論宗、②成実宗、③法相宗、④倶舎宗、⑤華厳宗、⑥律宗の6つの仏教学派。後世の宗派とは異なり、仏教教義を研究する学派の性格が強い。この呼称は、平安京に遷都された後、奈良を南都と呼ぶようになったことに由来する。

本地垂迹説(→p.202) 仏が本来のあり方であり、神は人間の前に現れる時の仮の姿とする考え方。平安時代初期にすでにみられる。神を「権現」と呼ぶのは「権(かり)に現れた」という意味からである。

神仏習合(→p.202) 日本固有の神信仰と外来の宗教である仏教を融合してとらえる考え方。奈良時代にはすでにみられる。神社の境内に神宮寺を造ったり、神を仏法の守護神と位置づけたりするなどの事例がある。

神仏分離令(→p.202) 1868年に出された、神仏の混交を禁止した法令。明治政府は王政復古・祭政一致の立場から神道国教化の方針をとり、神社を寺院から独立させた。これにより、全国的に寺院や仏像を破壊する廃仏毀釈の運動が起こった。

天台宗(→p.203) 6世紀の中国僧智顗を始祖とする、法華経を根本経典とする宗派。最澄が日本に伝え、比叡山延暦寺において日本の天台宗を開いた。その特徴は、円(天台)・密教・禅・戒律の四宗融合にある。

法華経(→p.203、216) 妙法蓮華経。大乗仏教の経典の一つで、天台宗・日蓮宗の根本経典となった。

一切衆生悉有仏性(→p.203) 「一切の衆生は悉く仏性有り」と読み下し、すべての生きとし生けるもの(衆生)は、皆仏陀となる可能性である仏性を持つ、という意味の、涅槃経にみられる言葉。大乗仏教の根本思想。

一乗思想(法華 一乗)(→p.203) 法華経に示された、仏陀の真の教えはただ一つであるという思想。仏陀は方便として様々な教えを説いたが、本質は一つであり、それはすべての人が仏になることができるという教えであるとされる。最澄もこの思想を説き、成仏できない人も存在するという立場の法相宗の僧である徳一と論争になった(三一権実の論争)。

真言宗(→p.204) 空海が、唐の僧恵果から学んだ密教をもとに開いた宗派。真言とは、マントラという神秘的な仏の言葉をさす。それを唱えることで、根本の仏である大日如来と一体化する即身成仏をめざす。

即身成仏(→p.204) 生きたまま仏の境地に達すること。真言密教では、①身に印契を結び(身密)、②口に真言を唱え(口密)、③心を集中して大日如来を思い浮かべる(意密)、という三密の行により大日如来と一体化することをさす。

大日如来(→p.204) 密教の本尊で、宇宙の究極的真理そのものを表す仏。毘盧遮那仏ともいい、諸仏・如来・菩薩を包摂する。すべては大日如来から生まれ、大日如来に還るとされる。東大寺大仏はこの毘盧遮那仏である。

密教(→p.204) 神秘的な行や秘密の呪法によって悟りを得ようとする教え。もともと密教であった真言宗(東密)だけでなく、のちに天台宗もその影響を受けて密教化していった(台密)。密教に対し、広く民衆に開かれた教義を持ち、学習可能な教えを顕教という。南都六宗がそれにあたる。

曼荼羅(マンダラ)(→p.204) サンスクリット語で「宇宙の真理を表現したもの」という意味。密教の宇宙観を図式化したもので、仏の慈悲を表す胎蔵界曼荼羅と、行により最高の智を得る金剛界曼荼羅からなり、二つを合わせて両界曼荼羅という。

加持祈禱(→p.204) 災難や病などを取り除くため、仏の加護を祈る呪術で、密教で重視された。加持が仏の力を得ることで、祈禱はそのために行われる。平安時代の仏教では、国家安泰・病気平癒などの現世利益と結びついていき、特に貴族たちからその実現が期待された。

末法思想(→p.206) 釈迦の没後、①正しい教え・修行・悟りが実現する正法の世、②正しい教え・修行は実現するが正しい悟りは実現しない像法の世の二期を経て、③正しい教えのみが残り正しい修行も悟りも実現しない末法の世に至るとする説。日本では1052年が末法の始まりとされて広まった。特に平安末期には、戦乱や飢饉などにより世相が混乱したため、末法思想は人々に現実感をもって受け止められた。

浄土信仰(→p.206) 煩悩で汚れた凡夫の住むこの世(穢土)に対し、諸仏が作った仏国土を浄土という。その浄土を求め、往生を願うのが浄土信仰で、末法思想の流行を背景に広まった。浄土信仰をもとに、浄土教が発展した。

浄土教(→p.206) 阿弥陀仏にすがることにより、死後、西方極楽浄土に往生することを願う教え。インドの大乗仏教で説かれ、唐代・宋代に盛んとなった。日本では平安時代に流行し、のちの鎌倉仏教のうち、浄土宗・浄土真宗・時宗の成立の基盤となった。

阿弥陀聖(市聖)(→p.206) 平安中期の市井の僧である空也のこと。民衆に阿弥陀仏への信仰を布教し、社会慈善事業に尽くしたことからこう呼ばれる。浄土信仰の民衆への広まりに大きな役割を果たした。

念仏(→p.206) 仏道修行の一つで、本来は仏の姿を心に思い浮かべること。仏の姿を一心に念じる観想念仏のほか、仏の名を称となえる称名(口称)念仏があり、やがて一般的に「南無阿弥陀仏」と称えることをさすようになった。

「厭離穢土・欣求浄土」(→p.206) 末法のこの世(穢土)を離れ、阿弥陀仏の西方極楽浄土への往生を願うこと。源信の著書『往生要集』の第一章が「厭離穢土」、第二章が「欣求浄土」で、浄土教の教えを象徴する言葉。

『往生要集』(→p.206) 源信の著書(985年)。浄土に往生するための教えを多くの経典から集めてまとめたもので、極楽・地獄の様子を著し、浄土信仰の広まりに大きな役割を果たした。