●精神分析(→p.164) フロイトによって体系づけられた方法。対話、連想、夢判断などの方法で意識の表面を分析することによって、精神の深層、つまり潜在意識内のコンプレックス(心のしこり)を発見し、治療しようとするもの。病気治療だけでなく、芸術、宗教など、広く精神現象の理解に応用されている。
●無意識(→p.17、164、165) フロイトがその存在を考えた、意識(知覚)に上らず、自覚できない精神の領域。意識に比べて深層にあり、広大である。普段は意識に上らないが努力すれば思い出せる領域は前意識と呼ばれる。
●自我(エゴ)(→p.17、165) 人格のおもに意識的な部分。現実原則に従い、エスと超自我の対立を調停して現実への適応を図る。
●エス(イド)(→p.17、165) 性衝動(リビドー、libido)と攻撃衝動が溜まっている部分。より多く快楽を得られることを選ぼうとする快楽原則に支配される。
●超自我(→p.17、165) 親のしつけや教育によって形成された無意識的な良心。自我を検閲し、禁止や抑圧を行う。
●集合的無意識(→p.17、165) 個人的無意識のさらに下に広がる、人類に共通の無意識。ユングの創始した分析心理学において提唱された。分析心理学は、心理療法に加えて、普遍的無意識内に存在する元型が現れた神話や昔話をも研究することから、芸術、宗教、民俗学などとも関わる心理学である。
●元型(archetype、アーキタイプ)(→p.165) 集合的無意識に存在するとユングが仮定した普遍的な型。元型は神話、伝説、妄想、幻覚などに共通して現れる普遍的なイメージとして把握される。
●生の哲学(→p.166) デカルト以来の理性を重視する合理主義に対抗し、非合理的な情意を含む人間の生に基づいた哲学。ベルクソン、ニーチェ、オルテガらが生の哲学者と呼ばれる。
●エラン・ヴィタール(→p.166) ベルクソンは宇宙全体も意識と同じように持続し、進化するという思想を展開した。すべての生命体や万物の起源を宇宙的生の爆発ととらえ、その創造と進化の力を生命の躍動(エラン・ヴィタール)と呼んだ。
●現象学(→p.167) 「事象そのものへ」を研究格率とするフッサールの哲学。現象学の方法は、世界の存在を一度括弧に入れて再検討し、意識を、客観的世界を想定したり、存在者の存在の意味が様々に形成される絶対的な場=純粋意識としてみる(現象学的還元)。これは、世界の中に意識があるとする、それまでの主観と客観のあり方を転換するものである。純粋意識がとらえる対象や意味がどのように形成されるかについて、主観に現れるがままの意識現象を記述することによって、世界が意識の中に「意味」として現れる状況を明らかにすることをめざす。
●エポケー(フッサール)( →p.167) 現象学的判断停止ともいう。客観的な世界の実在を素朴に認める自然的態度をひとまず「括弧に入れて」一時中止すること。その上で、自らの意識を純粋に見つめる。
●フランクフルト学派(→p.168) 1930年代以降のドイツ、フランクフルトの社会研究所と、その機関誌『社会研究』に集まった社会思想家らをさす。ユダヤ系が多かったため、ナチスにより亡命を余儀なくされたが、第二次世界大戦後に再建された。学派には、アドルノ、ベンヤミン、フロム、マルクーゼら第一世代に加え、戦後に研究所に参加したハーバーマスらの第二世代も含まれる。ファシズムや、それに従った人々の精神の分析などを行った。
●道具的理性(→p.168) ホルクハイマーは、単なる技術的な「手段」に成り下がってしまった理性を道具的理性と呼んだ。道具的理性は、自然と人間を支配するための道具になる。そして、資本主義の合理化に反抗する小市民や没落した中産階級の自然的感情が、異質な人間を支配しようとする理性と結びつくことでファシズムが成立したという。
●権威主義的パーソナリティ(→p.168、169) ファシズムを潜在的に支える人間の性格。他者の権威に盲従し、柔軟性を持たず、弱者には自らの権威への服従を強要する性格。フロムからアドルノに受け継がれた、大衆の心理を分析する視点である。
●コミュニケーション的合理性(→p.169) ハーバーマスの用いた言葉。対話や討論などのコミュニケーション行為を通して互いに了解し合い、暴力や強制抜きで合意と公共性を形成しようとする合理性。
●対話的理性(→p.168、169) ハーバーマスの用語。暴力・抑圧に支配されずに対話を交わし、相互理解に到達し公共性を築こうとする理性。コミュニケーション的合理性でめざされる、公共性の形成に必要なもの。
●システム合理性(→p.169) ハーバーマスはコミュニケーション合理性に対して、政治的な目的合理性や経済的な効率性を原理とする強制的な合理性をシステム合理性と呼んだ。システム合理性によって市民の生活が抑圧される様子を生活世界の植民地化と批判した。
●『全体主義の起原』(→p.170) アーレントの著書。反ユダヤ主義と帝国主義に焦点を置いてナチズムやスターリニズムの心理的基盤を分析した。大衆社会が成立する中で、ドイツでは人種主義が、ソ連では弁証法的唯物論が全体主義のイデオロギーとなり、独裁者は政治的反対者を、暴力による排除や暴力を背景とした脅しであるテロルによって殲滅することで、全体主義的支配を完成させたことを論じた。
●他者の顔(→p.170) 全体性を超越した他者の存在の無限性をレヴィナスが表現した言葉。レヴィナスは、人間が無限なる神を全体的に把握することが不可能なように、自己が同化吸収できない絶対的「他者」が存在すると考え、全体主義の主体にとって殺人の対象である「他者」は、「顔」という無限性を持ってそれに抵抗するとした。
●原初状態(→p.172) ロールズが、著書『正義論』の中で提唱した概念。社会契約説における自然状態にあたる。平等・対等で合理的な人々がおり、無知のヴェールに覆われた状態。
●無知のヴェール(→p.172) ロールズが想定した、自分自身がどの階級に属しているか、どの程度の資産を持っているかなど、自分についての情報が遮断されている状況。この状況下において、人々は社会の根本的な仕組みをゲームのルールとして議論する。そこでは当然すべてのメンバーは公正な競争を求めるようになり、許容可能な不平等の範囲を検討し、自分の利害を離れて、すべての人にとって公正なルールを設定することができるという。ロールズは、こうして交わされた契約が公正な分配をもたらすと考えた。
●公正としての正義(→p.172) ロールズは社会的正義を公正という観点から考察し、正義の二つの原理を提唱した。第一原理は、すべての人々が自由を平等に持つべきであること。第二原理は、不平等が生じる場合、次の二条件を満たすべきこと。(a)最も不遇な立場にある人々の利益を最大化する格差原理。(b)公正な機会の均等を確保すること。
●リベラリズム(→p.174) 社会的平等の実現と、弱者救済や社会的差別の解消のために国家に大きな権限を与える進歩的立場。個人の政治的自由とともに大きな政府による社会的な正義を重視する、ロールズらの政治的立場。
●リバタリアニズム(自由至上主義)( →p.174) 社会的な平等よりも政治的自由と小さな政府による経済的な自由を重視する、ノージックらの政治思想。
●コミュニタリアニズム(共同体主義)( →p.174) 共同体の伝統的価値の中にある共通善を正義と結びつけて重視する、マッキンタイア、テイラー、サンデルらの政治思想。
●官僚制(ビューロクラシー)(→p.176) 会社や工場など大規模な組織を効率的に運営するための仕組み。ウェーバーはその特徴を次のように指摘している。①規則による職務権限の明確な規定、②ヒエラルキーと呼ばれる階層構造、③文書の重視、④専門的訓練の必要性、⑤(フルタイムの)専業、⑥一般的規則による規律。
●他人指向型(性格)(→p.176) アメリカの社会学者リースマンが『孤独な群衆』で、現代社会において広まりつつあると指摘した社会的性格。他者に受け入れられることを、仕事でも私生活でも最高の目標とする性格であるとされる。伝統を生き方の基準とする「伝統指向型」や親から与えられた内面の(勤勉・禁欲といった)価値観を重視する「内部指向型」と比較される。
●潜在能力論(→p.178) センが提唱した概念。センは福祉を、個人が選択できる生き方の幅(すなわち自由)を広げることであると考え、生活のよさを形作る機能の全体である潜在能力(ケイパビリティ)に着目する。この潜在能力を高めることをめざすのが、センの提唱する潜在能力アプローチである。
●人間の安全保障(→p.178、304) 人間の安全保障とは、センらによって提案された、紛争や災害、飢餓、環境破壊、感染症、人権侵害などの脅威から、人間を守るという概念である。なかでも特にセンが重要視したのは、基礎教育の完全実施である。
●構造主義(→p.180) レヴィ=ストロースがソシュールの記号論をモデルにして、文化人類学に導入した構造論的手法。構造主義は、言語や文化には、それを用いる主体である人々の意識とは無関係な構造が存在し、それが人々の行為の意味を決定しているとする。近代西欧の理性中心主義と西洋中心主義を批判し、1960年代のフランスで、歴史と人間の主体性を重視するマルクス主義や実存主義に代わる新しい思想として流行した。
●『野生の思考』(→p.180、181) レヴィ=ストロースの主著。当時、未開とされていた社会の人々の思考は非合理的なものとみられていた。しかしレヴィ=ストロースは、それを野生の思考や神話的思考と呼び、近代西欧の科学的思考に劣ることのない「具体の科学」であり、効率を高めるために栽培種化された西欧の思考とは異なるが、本質的には同じもので、優劣は存在しないと主張した。
●エピステーメー(→p.181) フーコーが提唱した、ある時代において、多用な学問を横断し、様々な言説(ディスクール)のレベルで見いだされる連関の総体としての知の規則性(枠組み)のこと。例えば、18世紀のルネサンスの時代には、様々なものの表面的な類似性に着目し、「相似」で物事をとらえるエピステーメーがあった。クーンのパラダイムと類似した意味で使われる場合もある。
●ポスト構造主義(→p.182) 近代西欧の哲学を批判した構造主義や精神分析の中にも、ヨーロッパの形而上学の伝統や近代的理性の影響があることを指摘した思想をこう呼ぶ。代表的な思想家に、デリダやドゥルーズがいる。
●ポストモダン(→p.182) リオタールは近代(モダン)という時代を「大きな物語」が知的活動を支えていたと考える。例えば、ヘーゲルの説いた精神の弁証法やマルクスの説いた労働者の解放など、真理・主体・自由・革命などである。リオタールはこのような「大きな物語」に対する信用が失われた状況をポストモダンと呼んだ。
●脱構築(→p.182) デリダが提唱した、形而上学的思考の解体作業の方法。デリダはプラトン以来の形而上学の二項対立的な階層秩序が、西洋的思考の根底にあることを指摘し、批判した。
●オリエンタリズム(→p.183) 近代西欧社会が「東洋」を後進的でエキゾチックな他者として把握してきたこと。サイードの用語。西洋の人々が書き表してきた東洋は、根源的にヨーロッパとは異質な空間であり、後進性や官能性、敵対性などのイメージが与えられてきた。それは、西洋人が自らの文化的優位を示すために作り上げてきた西洋中心主義的な、実際の東洋とは異なる「オリエント」像で、西洋の東洋支配のための装置であるとする。
●分析哲学(→p.184) 言語の論理的分析によって哲学的問題を解決しようとする、現代英米哲学の主流の一つ。ラッセルは日常的な言語を論理的に分析することによって、哲学的な問題が解決できると考え、その弟子ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』によって論理分析の方法に世界観的な基礎づけを与えた。
●言語ゲーム(→p.185) ウィトゲンシュタインの後期の思想。言語を物理的な記号配列や、何かに意味を付与する精神作用としてではなく、一定の規則に従って営まれる行為と考える。言語をちょうど駒をやりとりするチェスのように、言葉をやりとりするゲームとしてとらえ、様々な言語ゲームを観察することによって哲学の諸問題を解明しようとした。
●科学哲学(→p.186) 科学を対象とする哲学的考察を科学哲学という。科学的理論がどのようにして形成されるかについての歴史的・社会的な分析(科学方法論)、科学やその基礎となる数学、論理の本質の分析(メタ科学)、科学のあるべき姿の考察(科学論)などの分野で研究が行われている。
●ホーリズム(全体論)(→p.186) クワインは、人間の知識と信念はお互いにつながり合った一つの構造体になっていると考えた。この考え方をホーリズム(全体論)という。一つ一つの科学的命題は独立してあるのではなく全体として一つの体系を構成しているため、一つの科学的命題が反証されたからといって、その理論全体が反証されてしまうわけではない。
●パラダイムの転換(→p.187) クーンの提唱した考え方。ある科学領域の専門的科学者の共同体を支配し、その成員たちの間に共有される、①ものの見方、②問題の立て方、③問題の解き方、の総体をパラダイムと呼ぶ。そして、科学革命と呼ばれる現象は知の連続的進歩ではなく、パラダイムの転換(パラダイムシフト)によって急激に生じると考えた。
●トランス・サイエンス(→p.187) アメリカの原子核物理学者ワインバーグは、科学によって問うことはできるが、科学によって答えることのできない問題の領域をトランス・サイエンスと呼んだ。彼は原子力発電所を安全とみるか、危険と判断するかという点については科学だけでは答えられず、政治的判断が必要であると考えた。