用語解説 p101-110_科学革命と自然観

『プリンキピア』(Principia)(→p.103) ニュートンの著書(1687年)で、ラテン語原題「自然哲学の数学的原理」の略称。慣性の法則、運動方程式、作用反作用の法則の三法則(ニュートン力学)と万有引力を定式化した。

「知は力なり」(→p.104) ベーコンの学問観を表す言葉。知識は何かを制作する力であり、知識=制作する力によって自然を征服することをめざす。従来、知識は深い思考力と同一視されてきたが、ベーコンは制作力と同一視した。

イドラ(idola、先入見・偏見)(→p.104) もとはラテン語で幻像、幻影、盲信の対象を意味する。ベーコンは、①種族のイドラ、②洞窟のイドラ、③市場のイドラ、④劇場のイドラという4つのイドラを考え、退けるべき先入見・偏見とした。

帰納法(→p.105) 古代ギリシアの時代から存在する思考法。個別的事例から一般的法則を導く。ベーコンは従来の帰納法の問題点を指摘し、観察、実験、記録の方法に改良を加えて、個別的な事例の結果から有益な原因の認識に至る確実な帰納法をめざした。

イギリス経験論(→p.106) 16世紀以降のイギリスで盛んに論じられた、認識の源泉は経験(感覚)にあるとする思想。この立場をとった思想家としてベーコン、ロック、バークリー、ヒュームらがあげられる。

タブラ・ラサ(tabula rasa)(→p.106) ロックは人間の心の初期状態をタブラ・ラサ(「白紙」のようなもの)であるとした。人の心には先天的には何の観念も書き込まれずに「白紙」で生まれてくるのであり、生後の経験によって様々な観念を獲得していくとロックは考えた。

大陸合理論(→p.106) 16世紀以降のヨーロッパ大陸で盛んとなった、認識の源泉は経験(感覚)に左右されない理性(および理性にそなわる生得観念)にあるとする思想。デカルト以降のヨーロッパ大陸の哲学の主流となった。

方法的懐疑(→p.107) ‶doute méthodique"(仏)。デカルトが行った、確実な認識を得るために疑う余地があるものをすべて疑うという方法。感覚的認識、数学や論理的真理といったすべてを疑い抜き、その先に、疑っている自分自身の存在は疑いえないという、思考する自己の存在の確実性に到達する。実際にすべてを疑わしいと考えているのではなく、疑う余地があるかを検討する思考実験。

「我思うゆえに我あり」(cogito、ergo sum)(→p.107) 思考する者としての自己は確実であるという認識。方法的懐疑によって到達するこの認識を、デカルトはこの言葉で表現した。「考える我」は身体なしに成立する精神的存在とされる。

良識(ボン・サンス、bon sens)(→p.108) デカルトが考えた、誰にも等しくそなわる理性的能力で、真偽を判断する力。すべての人が正しく使用しているのではなく、良識(理性)を正しく導き使用するためには、意志と方法が必要となるという。

演繹法(→p.108) 確実な原理に基づき、個別的な認識・判断を導き出す思考法。デカルトの場合は、「考える我」を確実な原理として、神の存在、物体(身体)の存在を証明していった。

心身二元論(→p.108) 精神と身体を二つの異なる実体とする考え。デカルトは「考える我」は身体に関係なく、思考によってのみ成立している精神的実体であるとし、身体は物体的実体であり、精神のない物理的・機械的構造体とした。

機械論的自然観(→p.108) 精神と身体(物体)の二元論に基づき、すべての自然現象を自然法則(物理法則)に基づいて機械的に説明する、デカルト以降の近代ヨーロッパの自然観。

高邁の精神(→p.109) 外的刺激から生じ、精神に影響を及ぼす情念(感情)をコントロールする理性的な意志。晩年のデカルトが提唱した。

汎神論(万有在神論)(→p.110) 神のうちに自然物(被造物)が存在し、自然物(被造物)のうちに神が存在するという考え方。すべては神のうちに存在し、すべては神のあらわれであるとするスピノザに特徴的な思想。

モナド(単子)(→p.110) モナドはギリシア語で「一なるもの」という意味。ライプニッツは世界がモナドという個的実体から成り立つとした。

予定調和(→p.110) 個々で独立しているモナドは「窓を持たない」とされ、相互の関係を持たないが、神の定めた秩序によって調和し、最善の世界を造っているとするライプニッツの思想。現実をそのまま最善の世界として肯定するため、楽天的すぎるとの批判も受けた。