p299-313日本の安全保障と自衛隊の役割
憲法第9条の戦争放棄には、放棄される戦争をどのように捉えるかによっていくつかの考え方がある。第9条1項と2項を合わせて侵略戦争も自衛のための戦争も放棄したとするのが多数説であるが、1項のみですべての戦争を放棄しているとする説や、侵略戦争は放棄したが自衛戦争は放棄していないとする説などがある。
憲法第9条をめぐる裁判では、一審では違憲判決が示された例はあるが、上級審では判断が覆っている。これまで最高裁では統治行為論や原告不適格などの理由によって違憲か合憲かの明確な判断は行われておらず、消極的司法として批判されてきた。
1940年代の「自衛権の発動としての戦争も放棄した」という解釈から、1950年代には「憲法は自衛権を否定していない」という解釈へと変化した。1970年代には「集団的自衛権は行使できない」とされたが、2010年代には「限定的な行使は容認される」とした。また、1990年代には「PKOであれば自衛隊の海外派遣も可能」とされたが、その後、海外派遣の理由は海賊対処などへも広がった。国際情勢の変化に応じて政府の憲法解釈は変化し続けている。
文民(シビリアン)である内閣総理大臣が自衛隊の指揮監督権をもっているほか、防衛出動に国会の承認を必要としており、自衛隊予算や立法によってシビリアン・コントロールが行われている。
1967年に佐藤首相によって表明された武器輸出三原則は、1970年代に強化されたが、2000年代に徐々に緩められ、2014年には原則容認へと変化した。
旧安保条約の中心は、日本に対する占領終了以降も、引き続き日本国内に米軍が駐留できるようにすることであった。新安保条約では、アメリカの日本防衛義務が明確化され、双務的な内容となった。
在日米軍の駐留経費のうち、基地従業員の基本給や水道光熱費などを日本側が負担するための予算のことである。日米地域協定には根拠が明記されておらず、過去の防衛庁長官の答弁にあるように、日本側の「思いやり」が根拠ともいえる。
1990年代以前は、自衛隊は自衛のための戦力であり、海外派兵は認められないとする世論が強かったが、湾岸戦争をきっかけに海外貢献を求める声が高まり、PKO協力法が制定された。その後は立法を重ねながら海外での活動が拡大し、現在は領域を限定しない活動も定められているが、現に戦闘が行われている現場では活動しないという制約が設けられている。
当初は国連PKOの活動であることが前提となっていたが、テロとの戦いや国連加盟国の支援、海賊対処、邦人保護などへと理由が広がってきている。
有事とは武力衝突などのおそれのある非常事態をさすとされるが、現在の法律では、武力攻撃事態、武力攻撃予測事態、存立危機事態、重要影響事態などが定義されている。