p88-107 用語解説

自由権(→p.88,92) 国家権力の不当な介入や干渉を排除し,各人の自由を保障する権利。18世紀的人権ともいわれ,国家権力からの自由を意味する。精神的自由,人身の自由,経済的自由に大別される。

社会権(→p.88,97) すべての国民が「人間たるに値する」生活を営む権利。20世紀的人権ともいわれ,日本国憲法では,生存権,教育を受ける権利,労働基本権として保障されている。

参政権(→p.88,99) 国民が政治に参加する権利。日本国憲法は,選挙権・被選挙権,憲法改正に関する国民投票権,最高裁裁判官の国民審査権,地方特別法に関する住民投票権などを規定している。

請求権(→p.88,99) 基本的人権を確保するための権利であり,権利や自由の侵害を救済するための権利である。日本国憲法は,請願権,裁判を受ける権利,国家賠償請求権,刑事補償請求権などを規定している。

新しい人権(→p.88,102) 日本国憲法に明文の規定はないが,社会の変化にともない,新たに保障されるべきであると考えられるようになった権利。その多くが憲法第13条の幸福追求権を法的根拠としている。新しい人権として主張されたものには,プライバシーの権利,知る権利,環境権,アクセス権,平和的生存権,自己決定権などがある。

公共の福祉(→p.88,106) 社会全体の幸福や利益のこと。憲法第12,13,22,29条に規定されており,各人の人権が衝突した場合の調整,あるいは人権の制約のための原理である。しかし,何が公共の福祉かを判断するのは難しく,公共の福祉による人権の制約には十分な配慮が必要とされる。

目的効果基準(→p.93) ある公権力の行為が,憲法第20条3項で禁止される「宗教的活動」にあたるのかどうかを判定する際の基準。その行為の目的が宗教的意義をもち,その効果が特定宗教に対する援助・助長・促進または圧迫・干渉になる行為は,憲法第20条が禁止する宗教的活動にあたるとする。

罪刑法定主義(→p.95) どのような行為が犯罪となり,その行為に対してどのような刑罰が科 せられるかは,あらかじめ成文法によって明確に規定されていなければならないという原則。憲法第31条の法定手続の保障は,罪刑法定主義の規定であるといわれている。

冤罪(→p.96) 無実の罪を着せられること。冤罪救済の手段に再審制がある。

再審(→p.96,116) 刑が確定した後も,判決に合理的な疑いがもたれる証拠が発見された場合,裁判のやり直しをおこなう制度。おもな再審冤罪には免田事件,財田川事件,松山事件,足利事件などがある。

プログラム規定説(→p.97) 憲法第25条は,国民の健康で文化的な最低限度の生活を確保すべき政治的・道義的義務を国に課したにとどまり,個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではないとする見解。

出入国管理法(→p.100) 日本への出入国のルールを定めた法律。外国人の滞在時の条件など(就労できるかどうかなど),在留資格も定めている。在留資格をもつ外国人には,在留カードの所持が義務づけられる。難民認定の条件も定められているが,日本の認定条件は厳しく,批判も多い。

環境権(→p.102) 日常生活にかかわる大気,水,日照,静穏などに関して,良好な環境を享受する権利。高度経済成長期の公害や環境破壊をきっかけに主張されるようになった新しい人権で,憲法第13,25条を法的根拠としている。

知る権利(→p.102) 憲法第21条の表現の自由を受け手の側から捉えたもので,国民が必要とする情報を自由に入手できる権利。

情報公開制度(→p.103) 公の情報を公開する制度。1982年以降,地方で次々と情報公開条例が制定され,国が後を追う形となった。1999年には,国の機関がもつ情報を公開するための手続きを定めた,情報公開法が制定された。

アクセス権(→p.103) 情報の受け手である国民が,情報の送り手であるマス・メディアに対して,自己の意見の発表の場を提供することを要求する権利。

プライバシーの権利(→p.104) 当初は「私生活をみだりに公開されない権利」と解釈されていたが,最近では「自己に関する情報をコントロールする権利」と捉えられている,新しい人権。憲法第13条を法的根拠とする。

自己決定権(→p.104) 個人の重要な事項について,公権力から介入・干渉されることなく,みずから決定することができる権利。憲法第13条の幸福追求権を法的根拠とし,広義にはプライバシーの権利に含まれる。

個人情報保護法(→p.105) 個人情報を「生存する個人に関する情報であって,特定の個人を識別できるもの」と規定し,個人情報の漏えいを防ぎ,個人の権利利益を保護することを目的とする。

二重の基準(→p.106) 精神的自由を規制する法律の違憲審査にあたっては,経済的自由よりも, 厳格な基準によって審査されなければならないとする理論。これは,精神的自由が民主政治の過程にとって不可欠な権利であるため,経済的自由よりも優越的地位を占めるという考え方を根拠とする。