p.142-143 第二次世界大戦後の国際社会
用語解説
第二次世界大戦に激化した米ソの対立。直接の戦争にはいたらなかったことから冷戦とよばれる。1946年にはチャーチル英首相が「鉄のカーテン」演説をおこない,米ソの緊張状態について言及している。
米ソ対立が激化するなかで,東西どちらの陣営にも属さず平和共存路線を進んだアジア・アフリカ諸国。第一世界とは先進資本主義国を,第二世界とは社会主義国をさす。
米ソの代理戦争の一つ。第二次世界大戦後,朝鮮半島は南北に分裂していた。1950年に北朝鮮が韓国に侵攻したことから,北朝鮮・中国義勇軍と,米軍を中心とする「国連軍」が対立し,戦争へと発展した。1953年,北緯38度線を軍事境界線として休戦協定が結ばれた。
米ソの代理戦争の一つ。1960年,ベトナム統一をめざす南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の結成により,南ベトナム・米軍と,北ベトナム・ベトコンとの間で紛争が発生し,10年以上続いた。米軍は北ベトナムに対して空爆をおこなったが(北爆),国内外から批判を浴び1973年に撤退した。
キューバ革命によって親米政権を倒したカストロ政権は,社会主義を志向していった。1962年,ソ連がキューバにミサイル基地の建設を計画したことをきっかけに米ソ間の緊張が高まった。ソ連が基地の設置を取りやめたことで危機は回避されたが,これをきっかけに,米ソの首脳が緊急時に直接話しあえるようにホット・ラインが設置された。
1955年のアジア・アフリカ会議で発表された,世界平和のための10原則。1954年に周恩来とネルーとの会談で発表された平和5原則がもとになっている。