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「イスラーム国(IS)」現象をめぐって
  〜われわれはいま,どこにいるのか〜
東洋英和女学院大学学長  池田 明史
(第一学習社 新課程『高等学校 世界史A』教科書 著者)
はじめに      参考文献
はじめに

 チュニジアに端を発する「アラブの春」以降,シリア内戦の泥沼化や,過激派組織「イスラーム国(IS)」の台頭により,中東の政情不安はますます深まっています。このような中東の混乱にはどのような背景や要因があるのでしょうか。

 第一学習社「地歴最新資料」世界史編「臨時号」では,中東現代政治・国際関係がご専門の池田明史先生(東洋英和女学院大学学長)に,「イスラーム国(IS)」の問題を中心に,中東を震源地とする国際政治上の地殻変動がどのような意味をもっているのかについて,ご寄稿いただきました。

 中東現代史を扱う授業に際して,本資料をお役立ていただければ幸いです。


1 問題のわかりづらさ

 イラクとシリアに蟠拠して「イスラーム国」を僭称する過激派集団とこれを取り巻く状況は,幾つかの混乱が重なっていて,事態の把握を難しくしているように思われる。したがって,それらの混乱を整理するところから始めなければならない。

(ア)呼称の混乱

 現在「イスラーム国」と自称する勢力は,もともとは2003 年のサダム・フセイン体制崩壊後のイラクで跋扈した「イラクのアルカイダ(AQI)」が,その後「イラク・イスラーム国(ISI)」と改称し,それがいわゆる「アラブの春」の中東大変動の波及で2011 年以降内戦状態に陥ったシリアに越境,その時点では「イラク・レバントのイスラーム国(ISIL)」もしくは「イラク・シャームのイスラーム国(ISIS)」を名乗っていた。それが,シリア東部のラッカ周辺を制圧してここを策源地に2014 年初頭からイラク西部および北部のスンニ派部族居住地域に進撃,同年6月末に宗教指導者アブ・バクル・バグダディをカリフ(イスラーム世界全域の「最高指導者」)に戴く「イスラーム国(IS)」の樹立を宣言するに至ったものである。

 もとより,「カリフ」にせよ「イスラーム国」にせよ,それらの呼称はどこまでも自称であって他のイスラーム世界から容認されているわけではなく,ムスリムの大多数はむしろこの勢力をイスラームの逸脱ないし異端として指弾し忌避する姿勢が専らである。そうした主流的立場からは彼らが「イスラーム」を称すること自体に憤激し,「イスラーム国」ではなくことさらにアラビア語の略称「ダアイシュ」に置き換えようとする動きも出ている。本稿では,便宜上彼らが僭称する「イスラーム国」に対して英名略称のISを用いるが,それは当然ながらイスラームの理念を体現するとする彼らの主張を認めるものではない。いずれにせよ,名称一つとってもこれだけの混乱が存在する事実に留意する必要がある。

(イ)状況の混乱

 混乱をさらに拡幅しているのは,現実に中東で展開している紛争や内乱・内戦で地域内外の諸勢力間における「敵味方関係」が大きく入れ替わっているところにある。例えば,2015 年に入って反政府武装勢力ホーシー派が南下,事実上大統領を亡命させるに至ったイエメンでは,政府側を欧米とサウジアラビアなどスンニ派系アラブ諸国が支援し,反政府側の背後にイランが付いているのに対して,イラクではシーア派主体の中央政府がISに対抗する際にこれを欧米とイランとが暗黙裡に共同して支えている。シリアでは当初,アサド政権を支持するイランやロシアなどに対して,欧米は政権打倒を掲げる反政府勢力への支援に余念がなかった。こうした二項対決的な構図にISが入ってきたことによって,事実上三つ巴の内戦が出来し泥沼化しているのである。これらはほんの数例に過ぎないが,地域全体において錯綜するこのような敵味方関係が,状況の的確な把握を困難にしているといえよう。

 もっとも,ISを巡っては日常の報道によって構築されるわれわれの側の予断,すなわち「思い込み」が多分に現象の実像を歪めている事実も指摘しておかなければなるまい。これも一例を挙げれば,2014 年夏に伝えられたISの「破竹の進撃」で,イラク北西部を中心に国土の「三分の一」が制圧された旨の報道が流布し,また油田地帯を含むシリアの相当部分がISによって実効支配されているとのイメージが創り出された。われわれはそうした報道によってISが「面」としての領域支配を拡大しつつあるとの錯覚を植え付けられたのである。しかし実際には,ISが実効的に「統治」を行っているのはチグリスとユーフラテスという両河に沿った帯状の地域の,それも一部に過ぎない。その周辺部分には,シーア派優遇のバグダッド中央政府への反発から,ISの部隊移動や兵站補給を黙認するという程度のスンニ派部族の消極的支持が広がってはいるが,そこにも温度差がある。基本的には,ISの「領域支配」なるものは「点と線」を結んでいる構図になっていて,必ずしも「面」を制圧しているものではないと考えなければならない。

(ウ)内実の混乱

 混乱しているのは状況にとどまるものではなく,ISそれ自体が従来の「イスラームを掲げた暴力運動」の類型から逸脱した現象であるところにも由来する。従来のイスラーム過激派は,スンニ派・シーア派の別を問わず,基本的には既存の権力支配に対する抵抗や挑戦を唱えて遊撃戦や塹壕戦の展開に主眼を置いていた。イスラエルによる占領支配から脱しようとするパレスチナのハマスやレバノンのヒズブッラー,自国の「背教」政権の打倒を目指すナイジェリアのボコ・ハラムやソマリアのアッ・シャバーブ,イスラーム世界にグローバルに敵対する欧米に鉄槌を下そうとするアルカイダなどがその実例で,そこでは既成権力構造に打撃を加えることそれ自体が目的となっていた。実際に既存権力を打倒したり政権交代を実現したりしたイラン・イスラーム共和国やエジプトのムスリム同胞団政権の場合も,既にある主権国家の枠組みで奪権闘争を展開した結果,これに(少なくとも一時的に)勝利したものにほかならない。

 ISがこれらと異なっているのは,遊撃戦・塹壕戦を行いながら,しかし運動の初期段階から「領域支配」の実現を見据えて手を打ってきているところにある。しかもその「領域」は,既存の主権国家の枠組みにとらわれず,(たとえ「点と線」の支配であるにせよ)シリアとイラクとの国境線を跨いで広がっている。敢えて類似したものを想起すれば,おそらくタリバーン政権時代のアフガニスタンの状況に似ていなくもない。タリバーン勢力はパキスタンとの国境沿いの山岳地帯に「張り出し」ていたし,1979 年旧ソ連のアフガン侵攻に対抗してイスラーム世界各地から義勇兵が参集した経緯にも現在のISと通じるものが見て取れよう。しかしタリバーン自体はどこまでもアフガニスタンの部族社会の所産であり,その意味で自らの生活圏を越えて影響力を外に拡げようとする意志に乏しかった。これに対してISは,その指導者がカリフを名乗っている事実からも明らかなとおり,全イスラーム世界に君臨する意図を明示している。このように見てくれば,領域支配とグローバル志向という二つの要素が,ISを従来のイスラーム過激派と隔てた存在に見せているということになる。


2 IS台頭の経緯と膠着要因

 それでは,当初イラク国内の一武装闘争勢力に過ぎなかったISが,2011 年以降シリアに越境し,この両国で急速に台頭していったのは何故か。最大の理由は,イラクとシリアの両国において主権国家的な統合が著しく緩み,それぞれの中央政府が機能不全に陥ったところに求められる。

(ア)台頭の経緯

 もともとこれら両国においては,民族的にも宗派的にも同質性が乏しく,国民国家としての統合を強権的に押し付けることで維持していたのであった。別言すれば,放っておけば求心力よりも遠心力のほうが作動しやすい国民を,「復興」や「回復」を掲げるバアス主義という世俗的イデオロギーの箍でぎりぎりとまとめ上げていたのである。2003 年のイラク戦争によってサダム・フセイン率いるイラクのバアス党独裁体制が崩壊し,箍が吹き飛んでてんでに遠心力が作動し始めたところにアルカイダなど外部から「グローバル志向」の強い武闘集団が入り込み,そこにISの母胎が形成された。さらに,新たに発足したバグダッド中央政府がシーア派を優遇し,スンニ派を主体とした旧バアス党関係者の粛清・排除を進めたため,行き場を失った旧軍幹部や党官僚がシーア派を異端視するこのIS母胎に続々と参入するという状況を招いたのである。

 行き過ぎたスンニ派疎外によって生じた内政の不安定化を修復すべく,バグダッドの中央政府が「穏健スンニ派」の取り込み路線に転じた結果,IS母胎は勢いを失速させ,いったんはイラク北西部のシリアとの国境地帯に逼塞を余儀なくされたかに見えた。そこに出来したのが2011 年以降の「アラブの春」であり,その波及によるシリア国内での内戦の勃発と急速な悪化であった。イラクと同様にバアス党独裁体制で強権的な国家統合を維持していたアサド政権は,首都ダマスカス周辺から国内では少数宗派であるアラウィ派の出自地域にかけての一帯を抑えるだけの地方政権と化した。アサド政権に対抗して各地で決起した自由シリア軍など反政府諸勢力も,主導権をめぐって相互に対立し,シリア内戦は四分五裂の状況となって泥沼化した。こうした状況に付け込んで最大の「漁父の利」を得たのが北部国境地域に押し込められていたIS母胎で,越境してシリア北部を席巻してここを策源地に新たな攻勢を開始したのが2014 年初頭である。この攻勢は,やはり「アラブの春」の波及を警戒して再びスンニ派締め付けに動いていたバグダッド政府の虚を衝く格好となり,イラク内のスンニ派居住地域の支持もしくは黙許を背景に政府軍を圧倒して,クルド居住地域に接する北部第二の都市モスールを陥落させるに至った。かくして,同年6月末にはISの樹立とカリフ推戴が宣言されたのであった。

(イ)膠着の要因

 支配地域での少数派弾圧や,欧米人の人質惨殺映像の「配信」など,ISの常軌を逸した過激行動に国際社会は懸念を強め,2014 年8月以降は域内外の諸勢力が連携してその跳梁を抑えようとする動きが本格化した。また,例えばイラク国内ではISの前線がスンニ派居住地域の限界線に達するなど,2015 年半ばの時点でISの膨張には歯止めがかかった状態が続いている。それでも,ISは依然として一定領域を実効支配しており,その戦闘力は必ずしも衰えていない。この膠着状況はどのような要因によって支えられているのか。

 一言で言えばそれは,ISへのヒト・カネ・モノの流入が止んでいないからである。イラク領内でのシーア派優遇政策が続く限り,疎外されたスンニ派の,とりわけ旧軍人や治安部隊要員,あるいは行政官僚などがまとまってISにリクルートされる状況は維持される。シリアには,アラブ世界や欧州から数千人単位で「義勇兵」志願者が渡航していると伝えられ,守るべき「地場」を持たない彼らは柔軟に戦場を退き引きできる。戦場を選べる優位があることになる。また,カネについては,略奪や身代金略取といった常套手段のほかに,シリアの油田地帯や製油所を部分的にせよ支配下に置いたことで相当額の「定収」財源を確保している点も大きい。さらに,モノすなわち武器弾薬に関しては,イラク北部での戦闘で政府軍側が大量の武器を放擲して逃亡した結果として入手した「戦利品」のほか,内戦中の各国とりわけリビアから相当程度の兵站が流入していると伝えられる。

 それでは,ISへの各種資源の流入は何故阻止できないでいるのだろうか。敢えて忖度すれば,国際社会のIS対策の基本は,「封じ込め」であって「殲滅」ではないからであろう。欧米を中心とする域外勢力は,それぞれ国内世論に突き動かされてIS阻止作戦に踏み切ったものの,IS側の戦術拠点や移動車両への空爆を繰り返す以上の行動を起こす意志は明らかに欠けている。アフガニスタンやイラクで泥沼化した混乱から足を引くことができず,人的にも財政的にも深刻な損害を被った記憶がなお新しいこの時点で,自国の地上部隊を投入してIS殲滅に乗り出して前轍を踏むことはないということである。むしろ,イラク政府や自由シリア軍,あるいはクルドの武装勢力を兵站面や資金面で援助し,軍事訓練を施すなどの「側面支援」を通じて,ISに接する域内勢力の強化でISを抑えようとしているかに見える。

 翻って,それらの域内勢力の思惑はどうか。彼らに提供される国際社会からの支援は,上に見たようにISに対抗する尖兵としての役割を期待されてのものである。いわばIS「特需」であって,ISの脅威が消滅すればその利得は失われる。そもそも,クルドにせよ自由シリア軍にせよ,自分たちの拠って立つ根拠地が守れればそれで十分であって,わざわざ相手の策源地まで遠征してISを武力掃討して得られるメリットは大きくない。この点はイラクやシリアの中央政府であっても同様で,基本的には中央政府とは名ばかりで,両方ともに首都と自分たちの出自地域であるシーア派やアラウィ派の本拠地が侵犯されない限り,本気で国家の統合を回復しようとしているようには見えない。トルコやヨルダンなど隣国も,越境してくるISを撃退する以上の地上戦を想定していない。

 詰まるところ,ISに対しては国際社会や地域社会がその蛮行を声高に糾弾し,IS「殲滅」の必要を喧伝してはいるものの,域内外のアクターが自ら血を流してその任に当たるとの意志に乏しい以上,予見しうる将来にわたって「封じ込め」路線のまま膠着状況が続くと考えざるを得ないことになる。


3 構造的背景としての「アラブの春」

 ISの跋扈はイラクやシリアの主権国家的統合の破綻の帰結だと指摘したが,そのような破綻をもたらしたのは既述のように2011 年以降の中東アラブ世界における政治的大変動すなわち「アラブの春」にほかならない。この変動では,チュニジアやエジプトで体制転換が起こり,リビア,シリア,イエメンで内戦が勃発するに至った。シリアでは直接に,イラクでは間接的ながら,いずれも変動の波及に伴う混乱の中からISが立ち上がってきたのであるから,詰まるところ中東に民主化を求めて生起した世俗的市民運動の逢着したところに,ISが産み落とされたという歴史的逆説が成り立つこととなる。

(ア)域内情勢の急速な流動化

 事実,シリア内戦の激化に際して大量の「義勇兵」をISに供給したのは「アラブの春」の発火点となったチュニジアであり,彼らが手にする潤沢な武器弾薬は,リビアのカダフィ体制によって溜め込まれていたものが,変動による体制崩壊で一挙に出回ったところに由来する。

 欧米など域外勢力が積極的な介入に及び腰になっているのも,「アラブの春」で各地の民主化運動を支持した結果,地域全体の安定が大きく損なわれたまま回復の展望が立たない現状に混乱しているためと考えられなくもない。すなわち,「民主化か安定か」という踏み絵を踏まされて,その結果前者を選択したために,ほとんど未曽有の政治的流動化状況が中東にもたらされたからである。シリア,リビア,イエメンでは内戦が泥沼化する一方で,エジプトは事実上の軍部独裁への逆コースを辿り,相対的な「成功例」と看做されていたチュニジアでも治安の悪化は隠せないでいる。

(イ)国際社会の混乱と困惑

 一連の政変で打倒されたチュニジアのベンアリ,エジプトのムバラク,イエメンのサーレハ各大統領は,伝統的に欧米の実質的な同盟相手であり,中東地域の戦略的安定が最優先されたために,彼らの独裁権力や強権的手法もまた黙認されてきたのであった。それが,「アラブの春」において民主化を求める各地での街頭行動の前に,いとも簡単に欧米に「見捨てられた」のである。サウジアラビアなど,残された親欧米の独裁体制諸国が「明日は我が身」という懸念を強めて欧米から距離を置こうとするのは自然な帰結と言える。かつては米国と表裏一体と看做されていたイスラエルでさえ,「アラブの春」以降は米国との軋轢を頓に顕在化させている。こうした事情が,冒頭に触れた「状況の混乱」すなわち中東における敵味方関係の錯綜をもたらした一因になっていることは否定できない。

 振り返ってみれば,チュニジアやエジプトで「アラブの春」が出来した2011年初頭から春にかけて,欧米を中心とした国際世論は,ある種の多幸感(ユーフォリア)に溢れていたのではなかったか。サミュエル・ハンチントンの唱える民主化の「第三の波」という時代の潮流に,中東は明らかに「例外」として屹立していた。冷戦末期の東欧はもとより,ポスト冷戦期に中南米や東南アジアでドミノ倒しのように伝播した独裁体制から民主化への移行は,中東には波及しなかった。自由・人権・民主主義という欧米流の「グローバル・スタンダード」に頑として抗い続けた中東の独裁政権が,「アラブの春」の中であっという間にわらわらと崩壊していったのである。結果論と言ってしまえばそれまでだが,「アラブの春」という名称がそのまま示唆するように,国際世論がこの中東の政治変動に寄せた民主化への期待と多幸感とが,あらゆる変動に含まれる安定阻害の根本的なリスクから目を逸らさせ,それがIS出現と台頭といった現象への違和感と驚愕を拡幅したと言えなくもない。


4 「アラブの春」は「春」だったか

 中東大変動の中で,何十年もさまざまな試練に耐えてビクともしなかった各国の独裁政権があっけなく連鎖的に崩壊していった状況を前に,世界中の中東政治研究者はほとんどが茫然自失の態を隠せなかった。彼らの主要な関心は,「なぜ中東の権威主義体制・独裁政権は強靭なのか」を解明するところにあって,強いはずのその体制がガラガラと倒れていくメカニズムの説明を直ぐには準備できなかったのである。もちろん,なかには「自分は知っていた」とか「長期独裁が持つはずがないと信じていた」と主張する者もいないではなかったが,そこに適正な社会科学的な根拠を認めることはできない。後付けの説明に終始するか,あるいは「人間は必ず死ぬ」というような意味のない言説に過ぎないからである。

(ア)普遍史観からの説明

 したがって,「アラブの春」の現象に最初の説明を試みたのは,中東の専門家ではなく,歴史家,それも文明史家の範疇に入れられることが多い研究者たちであった。例えば,グナル・ハインゾーンは,世界史における革命・動乱・戦争その他の暴力的混乱は,その八割方はそれが生起する国家・地域の「戦闘適齢期」男子人口の膨張圧力によるものであるとするいわゆる「ユース・バルジ」論を掲げ,これが石油ブーム以降に若年層人口が突出する傾向にあった中東アラブ世界に妥当すると主張した。あるいは,アナール派歴史学の第三世代を自認するエマニュエル・トッドは,非識字の父親世代に対して識字化された息子世代が台頭するとき,旧来の秩序や伝統的価値観が攪乱されるという「移行期危機」の議論を繰り広げ,変動が出来したアラブ諸国の識字率の変化に注意を促した。

 これらの歴史人口論ないし文明論的な視点からの説明は,「中東例外論」に居着いていたアラブ研究者や中東専門家を啓蒙するという点でも,中東もまた大きな歴史的スパンで見れば,他地域で生起している一般的な歴史的潮流の中に位置づけられ,十分に比較可能な要素を備えているという視座を提示した点においても,それなりに大きな意味があったと評価できる。しかしながら,それはどこまでも「大きな歴史的スパンで見れば」という文脈においての評価であって,極端に一般化すれば「若い男は乱暴だ」とか,「学歴高けりゃプライドも高い」といった観察に還元される言説でしかないとも言える。つまりそれらの議論は,「アラブの春」と呼ばれる特有の政治変動が,なぜ2011年以降という特定のタイミングで,しかも特定の政治経済類型の国家を激しく揺さぶる格好で生起したのかという社会科学的な問いに答えるものではないのである。

(イ)中東政治研究からの模索

 「アラブの春」で体制転換や内戦に至った事例は,政治的には共和政体で,経済的にはリビアを除いて大産油国ではない諸国に限られる。「ユース・バルジ」も「移行期危機」も原理的にはこれら諸国と同様に当てはまるはずであるにも拘らず,われわれが通常「中東」で想起する王政大産油国は含まれない事実をどのように説明するのか,という問題にほかならない。

 紙幅の制約もあり,また分析や議論が現在もなお進行中であってなかなか通説・定説を紹介しづらいという事情から,ここでは詳細に立ち入ることを避けたい。ただ,大産油国では政権が潤沢なオイルマネーで民主化を要求する民意を「金で買う」オプションが採れること,また世襲王政は統治の伝統的正統性が一定程度受忍されている限り,長期独裁に特段の説明を要しないが,名目上は選挙等を通じて民意に統治の合法的正統性を求めなければならない共和政体においては,数十年にわたって同一の独裁者が権力を握り続けるためには強権だけではなくそれなりの説得材料が必要になること,の二点を指摘するにとどめる。いずれにせよ,これらの論点を軸にして,自失状態から漸くわれを取り戻した中東研究者が分析・論争を展開しているのが現状である。そこでは,「アラブの春」という表現を中東大変動その他の言い回しに革めるという点を含めて,現象の見直しが進められている。


5 結び:われわれはどこにいるのか

 「アラブの春」と,そしてその蹉跌がもたらしたISの台頭という現象とが,2011 年以降のわれわれのこの時代に出現したという事実を,どのように考えればよいのだろうか。さまざまな切り口があり得ようが,ここではICT(情報通信技術)化・グローバル化・ポスト世俗化という三つのキーワードを軸に俯瞰してみたい。

 問題の現況は,国際社会の安全保障と域内各国の種々の共同体の意識変化とが複雑に結びついた総合的な現象として把握する必要があろう。それらを貫く共通項が,短期的にはフェイスブックやツイッターなどSNSの登場に象徴される情報通信技術の急激な発達,すなわちICT化であり,中期的には冷戦構造崩壊後の世界的な価値一元志向,つまりグローバル化であり,そして長期的にはいわゆる近代化のプロセスの中で浮き彫りになりつつある宗教の復権,要するにポスト世俗化の諸要素であると整理できる。

 第一に,中東大変動のきっかけや,それをリアルタイムで取り次ぐ機能を果たしたのは,都市部若年層の一部に爆発的に浸透したスマートフォンによるネットワークであった。それは,体制権力による一方的な情報統制を著しく困難にし,官憲が隠蔽しようとする情報が瞬く間に広く人々に共有される事態をもたらした。従来とは逆に,権力側の操作や不正を人々の側が監視する展望を開いたことになる。

 第二に,冷戦崩壊直後に登場したフランシス・フクヤマの「歴史の終わり?」に象徴されるように,世界は自由・人権・民主主義の三点セットから成る自由民主主義(Liberal Democracy,LD)的価値観によって単線的に覆われていくというグローバル化への期待が,「アラブの春」を実相以上に美化することになったのは既述のとおりである。国際社会の一時的な多幸感は,しかし,LD達成のための政治経済改革を強要したり,LDの健全な運用に不可欠な知識・原則・経験を十分に考慮せずに,完成品としての制度のみをいきなり導入しようとする欧米主体の国際社会の無自覚な「上から目線」への反発も惹き起こすことになっている。

 第三に,マックス・ウェーバーが近代化を「脱魔術化のプロセス」と規定し,カール・マルクスが「宗教は人民の阿片」と切り捨てたところに明らかなように,近代化が進めば世俗化が進み,宗教的要素は一方的に縮減して社会の表舞台からは退出するとの見方が少なくとも20 世紀前半までは支配的であった。これに対して,現実には欧米のニューエイジ運動やキリスト教右派の台頭,中国の法輪功,インドのヒンドゥーナショナリズムなど,近代化の尖端に位置するかそのプロセスの真っ只中に置かれているかの別を問わず,世俗化に対する「揺り戻し」とも看做し得る現象が各地で顕在化してきたのが現代である。日本のオウム真理教や,中東のイラン・イスラーム革命などもその脈絡で把握可能である。これがポスト世俗化の問題である。

 これらの要素が切り結んだところに,中東においては「アラブの春」が出来し,これが主として共和政体の非主要産油国の主権的統合を激しく揺さぶり,その結果として統合の破綻をきたしたシリアの内戦の間隙を衝いてトランスナショナルな武装勢力が拡大した。ISを名乗った彼らは統合の脆弱なイラクで反攻に転じて失地を回復し,これら一連のプロセスの中で宗教宗派や部族が武力衝突の構図へと囲い込まれていった。結果としてあたかも文明の衝突であるかのような様相を呈した対立や対決が,周辺諸国や国際社会の軍事行動を惹起し,そのことがまたドミノ効果を持って域内外の同盟関係ないし敵味方関係を液状化させるという新たな混乱につながっているのである。さらに,そのなかで浮き彫りになってきた問題は,ISが動員やプロパガンダの主要な手段としてICTを駆使し,自分たちの価値理念や世界観をいわば対抗的なグローバル化のモデルとして前景化させ,しかもそのような理念や世界観がポスト世俗化の潮流に乗っているかに見えることであろう。

 留意すべきは,ICT化・グローバル化・ポスト世俗化は中東に固有の現象ではなく,むしろ中東はその一例でしかないというところにある。ISには欧州からも多くの戦闘員が流入してきているし,その欧州では雑誌社襲撃事件に象徴される流血沙汰が頻発している。2014年の米国ボストン・マラソンでの爆弾テロの背景には,ロシアのチェチェン紛争が横たわっている。それら個々の危機の解明と同時に,われわれにとって喫緊の課題は,危機の連鎖の構造と要因の把握にあるのではないか。われわれはいま,どこにいるのか。この問いに真剣に向き合うところからしか,展望は開けてこないと思われるのである。


参考文献
池内恵『イスラーム国の衝撃』文春新書,2015年
:おそらく現時点でなされているISに関する最良の邦語解説書である。とりわけ日本人の陥りやすい誤解や思い込みを糾し,報道の予断から距離を置くための材料を豊富に提供している。
山本達也『革命と騒乱のエジプト―ソーシャルメディアとピークオイルの政治学―』慶應義塾大学出版会,2014年
:エジプトを事例にしてはいるが,分析の対象ははるかに広い。「アラブの春」を他山の石として,現代の国際社会が抱える構造変化を読み解こうとする意欲的な試みである。
グナル・ハインゾーン『自爆する若者たち―人口学が警告する驚愕の未来―』新潮選書,2008年
:本文中に紹介した「ユース・バルジ」論を,歴史的な実証資料に基づいて論証しようとした著作。
エマニュエル・トッド『アラブ革命はなぜ起きたか―デモグラフィーとデモクラシー―』藤原書店,2011年
:本文中に紹介した「移行期危機」説を「アラブの春」現象に適用して説明を試みた著作。一般論としては,同じ著者の『文明の接近―『イスラームvs 西洋』の虚構―』(藤原書店,2008年)がある。
サミュエル・ハンチントン『第三の波―20 世紀後半の民主化―』三嶺書房,1995年
:いささか古いが,民主化研究の現代における原点的著作。同じ著者の「文明の衝突」(集英社,1998年)や「文明の衝突と日本」(集英社新書,2000年)も著名。
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり―歴史の『終点』に立つ最後の人間―』(上)(下)三笠書房,2005年(新装版)
:冷戦終結前後の欧米の極楽蜻蛉的歴史認識を象徴する著作。自由・人権・民主主義の三点セットに対する欧米側の思い入れを把握するには格好ともいえる。
酒井啓子編『中東政治学』有斐閣,2012年
:大学の学部専門課程ないし大学院生を対象にした中東現代政治の教科書。中東各国・各領域の第一線研究者による論文集の体裁を採っている。