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特集2 歴史教育にジェンダーの視点を生かす
野村 育世 (私立高等学校・中学校教諭。日本中世史・女性史研究者)
 1 古墳被葬者はヒゲもじゃの大男?
 2 女性は人間の7%か?
 3 ジェンダーとは何か
 4 ジェンダーで歴史を読む
 5 まとめ
 参考文献



1 古墳被葬者はヒゲもじゃの大男?

 中学1年生に,古墳被葬者のイメージについて聞いてみた。「いかつい」「大きい」「ヒゲもじゃ」という声が上がった。王だからと言って体が大きいとは限らないだろう。そもそも,大型古墳に葬られた人の半分近くは女王だからヒゲはない。「えーっ」と元気な声が上がった。しかし,この事実に教科書は全く触れていない。子どもたちはイラストやジオラマを見て,ヒゲもじゃの大男の王というステレオタイプが刷り込まれてしまう。

 これまでの歴史教育は,ジェンダーや女性についてあまりにも無関心であった。近年になって,高校の日本史教科書に少しずつ女性やジェンダーを意識したものが現れてきた。例えば『高校日本史A新訂版』(実教出版)には,全国の民権結社を示す地図「自由民権運動と民権結社」があり,女性たちの結社が緑の字で示してある(男性の結社は黒字)。自由民権運動における女性たちの存在が一目でわかり,それを赤やピンク以外の色で示したところに配慮が見られる。

 しかし,女性やジェンダーへの配慮は,高校より中学,中学より小学校と,下に行くにしたがって貧困なものになる。

 例えば,聖徳太子について,今の高校日本史教科書では,「敏達天皇の后であった推古天皇が新たに即位し,国際的緊張のもとで蘇我馬子や推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた」(『詳説日本史』山川出版社),「推古天皇は,飛鳥に都をおき,厩戸皇子(聖徳太子)や大臣の蘇我馬子に政務を補佐させるいっぽう,仏教の興隆など,政治の改革をおこなった」(『高校日本史B』実教出版)のように,推古を主体的な統治者とする文が書かれているが,小中学校の場合は相も変わらず,推古天皇は女帝だから聖徳太子を摂政にして,聖徳太子が新しい政治をした,というように書かれている。せっかく高校教科書が変わっても,小中学校が変わらない限り,日本人の歴史認識は「推古天皇は女だから自分で政治ができず,聖徳太子を摂政にした」と刷り込まれるところから出発してしまうのである。

 なぜ下の学年ほどお粗末であるのか。そもそも,歴史研究者の関心が,高校教育には向いても,小中学校にはあまり向いていないのである。小学校の教科書や副読本類,一般の児童書には,各時代の専門の研究者が直接関わっていないものが多く,新しい研究の成果が反映されにくいのである。

 また,小中学校の教科書には,高校教科書にはない,各時代の様子を描いた復元イラストがあり,これに問題が多い。復元イラストには多数の人々が描かれているが,全体的に女性の姿が非常に少ない。参考にしたと思われる絵巻物に老若男女の人々が描かれていても,イラストには反映されていない。教科書イラストのジェンダーは,全面的に検証する必要がある。


2 女性は人間の7%か?

 教科書に登場する人物に女性はどのくらいいるだろうか。私の手元にある中学歴史教科書では,女性人名は全人名の約7%である。人口の50%が女性であることを考えれば,その少なさは衝撃的であるが,そもそも女性を載せようと思っていないようで,天武がいて持統がいない,聖武がいて光明がいない,人麻呂と憶良がいて額田王がいない…。

 そして,実はこの7%という数値は,一般書の人物評伝シリーズ(日本史関連)における女性の割合とほぼ等しい。例えば,ミネルヴァ書房の日本評伝選では,現行の173巻中,女性の巻は14冊,8%である。また,山川出版社の日本史リブレット「人」では,予定されている100巻中9巻が女性を含む巻で9%である(ただし,このシリーズの特徴は,女性はほとんどが他の人物と一緒に1巻に収められていることである)。

 つまり,中学教科書の女性割合5〜 10%は,現在の一般的な日本史叙述における女性割合をそのまま反映したものだと言える。

 しかし,女性の割合は,中学教科書より,高校教科書の方がもっと少ない場合が多い。それは,高校になると,男性名をより詳しく,多数収録する一方で,なぜか女性名は増やさないからである。大学受験に対応する詳しい教科書でも,女性名は中学教科書程度の人数しか出てこない。そこには,一般に広く知られる小野小町も赤染衛門も阿仏尼も加賀千代女も岸田俊子も景山英子も高群逸枝も登場しないなど,極めてバランスが悪い。

 いま,暗記科目と化した日本史の用語を制限すべきだという意見があるが,その場合でも女性の割合は増やさなければならない。女性が7%の歴史像は正しくない。

 取り上げるべき人物がいないわけではない。例えば,日本初の出家者「ばのしま(善信尼)」を載せるのは,中学校教科書『ともに学ぶ人間の歴史』(学び舎)のみである。そもそも538年の「仏教公伝」で百済王から倭に贈られたのは,仏像と経というモノだけである。このとき出家したのがこの渡来人の少女たちであり,百済に留学し,比丘尼となって,日本の仏教を創始した。「観勒」や「曇徴」と比べて不要な人物とは思えない。

 最近,児童書やヤングアダルト向けの伝記シリーズに,新たな動きが出始めた。例えば,高校生向けの伝記シリーズ「ちくま評伝シリーズ<ポルトレ>」(筑摩書房,2014〜2016年)では,

石井桃子/武満徹/インディラ・ガンディー/小泉八雲/やなせたかし/魯迅/マリ・キュリー/スチーブ・ジョブズ/フリーダ・カーロ/陳建民/オードリー・ヘップバーン/長谷川町子/本田宗一郎/黒沢明/ネルソン・マンデラ/マーガレット・サッチャー/アルベルト・アインシュタイン/藤子・F・不二雄/市川房枝/ココ・シャネル/岡本太郎/ワンガリ・マータイ/レイチェル・カーソン/ヘレン・ケラー/安藤百福

という多様な創造者たちが選ばれ,25人中12人が女性である。

 また,『まんが世界の伝記「NEXT」』第1期(集英社,2015年)では,

オードリー・ヘプバーン/グレース・ケリー/サリバン先生/アンナ・パブロワ/エリザベス・ブラックウェル/マリア・フォン・トラップ/アメリア・イヤハート/ターシャ・テューダー/ダイアナ/エレノア・ルーズベルト/ハワード・カーター/キング牧師/ ロバート・キャパ/スティーブ・ジョブズ/諸葛孔明/新・坂本龍馬/伊能忠敬/宮沢賢治/与謝野晶子/新島八重/松下幸之助/安藤百福/小林一三

という人選で,23人中12名が女性である。同じく第2期(2016年)では,

ナイチンゲール/アンネ・フランク/ヘレン・ケラー/マザー・テレサ/エジソン/クララ・シューマン/マリー・キュリー/ モーツァルト/クレオパトラ/マリー・アントワネット

と,10人中8人までが女性である。

 このように,21世紀に入って,伝記シリーズにも,ようやく新しい風が吹いてきたが,問題は日本史である。

 例えば,現在も売られている『学研まんが人物日本史』シリーズ(学研,1997年)では,

聖徳太子/聖武天皇/源頼朝/北条時宗/足利尊氏/織田信長/豊臣秀吉/徳川家康/西郷隆盛/伊藤博文/平清盛/福沢諭吉/卑弥呼/紫式部/源義経/真田幸村/ヤマトタケルノミコト/藤原道長/天智天皇/足利義満/徳川家光/勝海舟/大久保利通/楠木正成

という100年も変わらないようなメンバーで,24人中女性は2人,8.3%である。こうした人選は現在でも変化がない。われわれ日本史研究者の怠慢でもあろう。

 なお,子ども向けの歴史叙述を,漫画というメディアに安易に頼っているのも問題である。絵や台詞はジェンダーに配慮されているのか。そもそも漫画という表現は歴史叙述に適しているのか。やはり,歴史家は自らペンを取り,子どものための良質な文章を追求すべきだと私は思う。


3 ジェンダーとは何か

 ところで,歴史にジェンダーの視点を導入するということは,単に女性の割合を増やせば済むわけではない。

 ジェンダー gender は「性差」と訳されるが,もとはラテン諸語における男性名詞・女性名詞の区分を指す語である。生殖機能を中心とした身体的差異 sex と違って,ジェンダーは社会的に造られるものである。ただし,自然に思われる sex さえも,人為的な影響を受けていることは忘れてはならない。現在,ジェンダーの定義は,イギリスのスコットによる「身体的差異に意味を付与する知」と説明されることが多い

 ジェンダーは,階級と同様に社会を分析する概念であり尺度である。これまで,女性史以外の歴史学では,階級には注目しても,ジェンダーを分析対象から外してきた。だが,社会にはジェンダーという重要な構成要素がある。各時代の政治権力にとっても,ジェンダーを如何に構築し,位置づけるかということは,極めて重要な課題であった。


4 ジェンダーで歴史を読む

 ジェンダーで歴史を読むと,どのような歴史像が見えてくるのか。例を挙げてみよう。

 まず,『魏志』倭人伝に,卑弥呼は「鬼道を事とし能く衆を惑わす」とある。ここから,教科書等には卑弥呼は「巫女」であると書かれている。また,「男弟あり,たすけて国を治む」とあることから,実際の政治は弟がやっていた,と解釈されてきた。

 しかし,神との交信は古代の優れた王なら必須の能力であった。ワカタケル(倭王武)も,山で神と交信して人々から慕われ(『日本書紀』),また,政治は豪族のヲワケが「たすけ治めた」とある(「稲荷山古墳鉄剣銘」)。卑弥呼と同じなのだが,ワカタケルが「まじないによる政治」をしたとは書かれていないし,政治はヲワケがやっていたという説もない。ここには,女王に対するジェンダー的偏見が見られる

 男尊女卑の観念のない日本の古代に,唐の律令が導入され,太政官制の主な役職は男性で占められた。この政治的な女性の排除は,その後のジェンダー関係を大きく決定づける。もちろん,女性を完全に排除することはできず,女性官僚は常に存在した

 唐では女性に口分田は班給されなかったが,日本では女性にも面積を減らしつつ班給された。調庸の貢納物は共同体で生産され,布は女性労働で織られたが,それらは男の名で納税された。それは,反面,男性ばかりが重い税を負うジェンダーであることを意味した。戸籍に男を女と登録する偽籍は,男性側(男性を擁する共同体)からの,男女不平等な税負担に対する異議申し立てであると言えよう。

 また,鎌倉幕府の御成敗式目に,「公家法では禁止されているが,武家の慣習だからこれでよいのだ」といった文言があることは,多くの高校教科書に載せられている。しかし,式目のどの条文にこうした文言が付せられているのかは,これまで問題にされてこなかった。実は,こうした文言のある条文は次の3カ条,「女子に所領を譲った後で,不和になった場合,父母は所領を悔い返せる」「子どものない女性は養子を取って所領を譲与できる」「主人の違う下人同士の間に生まれた子どもは,男子なら父方,女子なら母方につけよ」で,全てジェンダー関連法なのである。このことから,鎌倉幕府が作ろうとした社会が公家社会と最も異なっていたのは,ジェンダーの在り方であったと言える

 鎌倉時代の女性と言えば,北条政子が挙げられる。政子に関する教科書叙述は,近年,大きく変わり,小中学校の多くの教科書で,承久の乱に際して政子が御家人らを鼓舞した言葉がコラムの形で載せられるようになった。ただし,そうした姿は当時の武家における夫死後の後家の役割の一環として捉える必要があろう。さらに,鎌倉時代においては政子は明確に鎌倉幕府4代将軍として捉えられていたことを忘れてはならない。

 さらに,江戸幕府は参勤交代を義務付け,大名の妻子に江戸住まいを強制した。ここで妻子は人質ということだが,中世の家から見れば,国元の統治から大名の妻を切り離したということである。末期養子などが問題になるのも近世ならではのことで,鎌倉時代なら,夫が相続人を決めずに死んでも後家が決定するので何の問題もなかった。江戸幕府の末期養子をめぐる政策は,中世の後家権を否定し,大名の家の自立性を否定した上に成立したものであったと考えられる。

 ジェンダーの視点で歴史を探究すれば,新しい歴史の姿が見えてくる。


5 まとめ

 以上をまとめると,本稿の主張は次の3点である。

 まず,現段階の歴史教育があまりにも男性中心に偏っていてフェアとは言えず,女性が不可視化されているので,それを正す必要がある。それにはまず,教科書に女性を入れなければ始まらない。

 次に,ジェンダーの視点は全体史を分析するためにあるのであって,女性史,ジェンダー史というものは,歴史の一分野ではない。ゆえに,授業においては,ときどき特別に女性史の話をするだけでは不十分である。各時代の単元ごとに,その時代の法慣習や政治におけるジェンダーの位置づけに言及しなければならない。教科書もそのように書かれることを望む。

 その上で,ときどきは特別なプログラムを組んで,教科書ならばコラムや一章を設けるなどして,その時代を象徴する女性や,家族制度や婚姻制度について,あるいは「自由民権と女性」「女学生について」と言ったテーマを設けて,語ったらよいのではないだろうか。



1 大型古墳の被葬者内訳:男性単独23.9%,女性単独19.6%,男女ペア19.6%。間壁葭子「婚姻の考古学」『考古学による日本歴史』15,雄山閣,1996年
2 スコット『ジェンダーと歴史学』平凡社ライブラリー,2004年
3 義江明子『つくられた卑弥呼―<女>の創出と国家』ちくま新書,2005年
4 伊集院葉子『古代の女性官僚―女官の出世・結婚・引退』吉川弘文館,2014年
5 野村育世『ジェンダーの中世社会史』同成社,2017年



参考文献
・久留島典子・長野ひろ子・長志珠絵編『歴史を読み替える ジェンダーから見た日本史』大月書店,2015年
・総合女性史研究会編『日本女性の歴史―性・愛・家族』『日本女性の歴史―女のはたらき』『日本女性の歴史―文化と思想』角川選書,1992〜93年
・総合女性史研究会編『史料にみる日本女性のあゆみ』吉川弘文館,2000年
・長野ひろ子・姫岡とし子編著『歴史教育とジェンダー―教科書からサブカルチャーまで』青弓社,2011年
・野村育世・関民子・早川紀代『絵本日本女性史』全4巻,大月書店,2010年
・歴史教育者協議会編『学びあう女と男の日本史』青木書店,2001年